加藤朝香の父親からの謝罪やお礼の言葉はなかった
リーダーの加藤朝香の父も加藤朝香を含んだ生き残りの中の一人。リーダーにも関わらず率先して悪態を吐いたのは彼、加藤朝香の父でした。合わせて、救助後も謝罪やお礼を述べることは一切せず、事故後の会見やインタビューには応じませんでした。ますます世間は水難事故を川流れと揶揄するようになります。
救助直後に「テントを返せ」と発言?!
彼は命からがら救助、そして生き残りました。ところが、仕事仲間が流されたのにも関わらず加藤朝香の父は「テントを見つけたら返してほしい」と主張。自然の恐ろしさを身をもって経験し、目の前で同僚が濁流に飲み込まれていくのを目の当たりにしたのにも関わらず、リーダーは自分のテントの心配をしていたのです。
「玄倉川水難事故」がDQNの川流れと呼ばれる背景
先程、皮肉を込めた別称DQNの川流れと揶揄を受けていることに触れました。加藤朝香の父の振る舞いや暴言はもちろんですが、その醜態が全国放送により炎上し、多くの人が目にしていたことも原因です。その事態はあまりにもひどく、同情の声はいっさいなかったのも、これからあげるいくつかの例を読んだら川流れなんて別称が付くのも少しは頷けるでしょう。
避難の呼びかけを無視し続けた
この玄倉川水難事故、史上最悪のDQNの川流れとつぶやかれています。天候が安定していなかったこともあり地元住民やダムの職員による避難勧告が何度も放送によって彼らには耳に届いていたはず。事故前日の時点でほとんどの観光客は川を離れ帰宅。
そんな幾度の避難勧告にも加藤朝香の父リーダーを中心に「臆病者」呼ばわり。挙句の果てには「失せろ、殴るぞ」等の暴言を吐く事態に。実際素直に従った人たちは被害に遭わなかったので、世間からは自業自得、等と冷ややかな視線を向けられたことにより、DQNの川流れと揶揄される事例でもあります。
救助隊への暴言がひどかった
また救助の最中にも、犠牲となった集団のリーダーだった加藤朝香の父親は救助要求の際も怒鳴り散らすありさま。実際、当時低気圧により風が強かった為にヘリコプターは近づけず、また周りの山々もはしご車がとどまることができない地盤の緩さだった為、二次災害を懸念して、なかなか救助もスムーズにいかなかったのです。
それでも、命の危機に直面しているのにも関わらず人に暴言を吐けるとは世間知らずにもほどがあります。また、「助けるのが仕事だろ」とまで。世間は冷ややかになり、ますます掲示板等では川流れと揶揄される羽目に。
地元の方の好意も踏みにじる言動
救助後、地元の方々も駆けつけてくださって、救助された人達をケアしていました。暖かい飲み物やおにぎりを差し入れする人まで。避難勧告の際にも悪態をついたのにも関わらず、加藤朝香の父は過酷な状況下でも「不味い」と言い、おにぎりを地面にたたきつけるというどこまでも非常識な振る舞いに非難は止みませんでした。
加藤朝香の父親が計画?!保険金殺人の疑いも?!
この事例は保険金をかけたリーダー加藤朝香の父による殺人事件の可能性も、という噂も広まりました。週刊誌によって、加藤朝香の父が再三の勧告に対しても留まる意思を曲げなかった点や、リーダーとして頑なに動かなかったぎこちない点が多かったとし、リーダーによった保険金殺人の疑いを提唱しました。
玄倉川水難事故でリーダーと子供は生き残った
一番の要因としては、リーダー格の加藤朝香の父、加藤朝香自身、そして加藤朝香の弟以外に無事だった2人は、避難勧告を聞き入れ川が氾濫する前に車に先に避難していた人達です。それにより、リーダーが同僚を事故に巻き込み自分だけ助かるように仕向けたと言われても、納得がいってしまう状況でした。
しかし、リーダーにまつわるこの噂は、根拠や証拠が無く、ただの憶測に過ぎず噂とされ、新たな目立った騒ぎは無く、この事例は事態への収束へと向かいます。
玄倉川水難事故(DQNの川流れ)後に裁判が行われた?
自然災害が起き、犠牲者が出た場合、ほとんどは救助者や残された家族によって損害賠償を巡るもの。もしくは、犠牲者の過失がはっきりとみられる場合は、救助に関わった機関からのかかった金額の請求を巡る、どちらかの裁判が開かれるものです。非常識な振る舞い。そして明らかに本人たちの過失が見られる一件によってどちらも起きてもおかしくない状況。以後どうなったのでしょうか?