仁和令子とは?
仁和令子は時代劇向きの顔立ち?きりりと引き締まった美貌が人気の女優さんでした。
仁和令子さんは主に戦隊ものと時代劇を中心に活躍していました。
平成の時代から、令和の時代に入りその文字から女優、仁和令子のネット検索が急に増えてきました。
仁和令子はどうしているの? 女優としての活動は?夫は? 病気?
また、音楽とユニット結成のことを検索しているようなので、それぞれを詳しくお知らせしてゆきます。
調べてみたら、すでに亡くなったことを知り、ショックを受けている方も少なくありません。生前の活躍の様子をお伝えします。
仁和令子のプロフィール
1958年生まれの女優。身長は156㎝と小柄です。仁和令子の名前は、西郷エンタープライズに入ってからつけた名前です。
その前は銭形平次の茶屋の娘役で出演した際、大川橋蔵につけてもらった名前を使っていました。何度か改名しています。
東京の堀越高校時代女優デビュー。以降は新幹線を使って長距離通学をしていましたが、途中拠点を関西に変えています。
1984年にはTokyoワルツという楽曲で歌手デビューしています。歌手であり、女優の仁和令子が将来病に倒れるなど想像すらできない、爽やかで、元気な女優さんでした。
仁和令子の経歴
堀越高等学校から大学へ。仁和令子さんより、女優小板サチコさんの名前の方が知っている方が多いようです。
チャーリー石黒氏のスカウトにより、上京、堀越学園に入ります。出身は大阪の吹田市です。
女優デビューは1974年『仮面ライダーX』のヒロインチコ役でした。マコ&チコの姉妹は当時の子どもたちには印象深い役柄です。
学業と女優の仕事の両立が難しく、大学を休業し小阪知子に改名、その後は関西を中心に拠点を変えて、女優業に専念します。
主に時代劇に出演されていた女優で気っ風のいい演技が魅力的です。
Tokyoワルツでを提供した佐藤隆さんと結婚します。夫となった佐藤さんはシンガーソングライターです。これまでに多くの楽曲を手がけています。
歌手としては、夫が作ったこの一曲だけでした。夫のTokyoワルツは由紀さおりさんがカバーしています。
1986年に香港で制作された映画『皇家戦士』を最後に女優業を引退しています。
主婦業に専念していましたが、2017年に芸能活動を再開していました。
2018年死去。癌末期で、肝不全にかかり病院で亡くなりました。入院してから、52日という短い期間で亡くなっています。
歌う銀幕のスターがまたひとり去ってしまいました。昭和の歌う美人女優高峰三枝子さんの詳しい情報はこちらから。
夫がブログに感謝の言葉を述べています。家族と49日まで一緒にいることができたそうです。