たこ八郎のボクサーとしての経歴を紹介!
片目の視力を失ってると言う致命的な障害を負いながらも、独特な戦法で観客を沸かせ、フライ級のチャンピョンにまで上り詰めた彼の選手としての経歴をご紹介します。
たこ八郎は「河童の清作」の名で活躍!
相手の攻撃を受けて隙をうかがい、挑発の言葉をささやき続けて心理的にプレッシャーをかける作戦を取り、めきめきと戦績を上げて行きました。選手の時はたこ八郎ではなく、河童の皿のような刈り込みを入れた髪型だったので、「河童の清作」と呼ばれました。
たこ八郎は1962年日本フライ級チャンピオンに
片目の視力を失った状態で試合に臨むという、致命的なハンデを背負いながらも1962年に35回戦目にフライ級の王座へ挑戦する事になります。
当時のフライ級チャンピョンは世界戦も経験しており、勝てる見込みはないとされていましたが、白熱の試合を繰り広げ、最終的には判定勝ちで見事チャンピョンの座を勝ち取りました。
たこ八郎のその他の戦歴を紹介!
デビューを果たした後の戦果には目覚ましいものがあり、4回戦目はのちの東王者と引き分け、8回戦目は勝利を収めました。
その後も順調に試合を勝ち進め、最後にはフライ級のチャンピョンにまで上り詰めます。ですが1964年に3度目の防衛戦に敗退し、この試合を最後に引退します。
たこ八郎はパンチドランカーにより引退
片目の視力を失うという致命的なハンデを隠すために敢えてガードせず試合に臨んでいましたが、試合の度に頭へと衝撃が蓄積され続けた結果、パンチドランカーの症状にかかってしまいます。
この病気は、頭に強い衝撃を受け続けることが原因となり、どもりが出たり体が震えてしまうなどの症状が見られるようになります。これが発症した事によって、現役を引退する事になりました。
言語障害・夜尿症などの障害が残った
選手を引退後は芸能人での活動をしますが、どもりがちになってしまう事や、夜尿症等が残ってしまいました。
弟子入になった下積期は泊まり込みでしたが、これらの症状に気を使って友人の家に泊めてもらう事が多かったと言います。友人たちも邪険にする事はし無かったと言います。
たこ八郎は明日のジョーのモデル?!
彼には国民的に有名な漫画「明日のジョー」の主人公・矢吹丈のモデルの内の一人という伝説があります。参考になったのはもちろん容姿では無く、プレイスタイルです。
たこ八郎は矢吹丈のモデル説があった!
「明日のジョー」の主人公である矢吹丈には、複数人のモデルがいますが、彼もその一人に含まれています。彼がチャンピョンになった後に連載が開始したのでほぼ確定です。