アウシュビッツ収容所には子供や女性もいた!ガス室や強制収容の実態を詳しく解説!

アウシュビッツ収容所の実態

ガス室は、第一収容所に1つと第二収容所に6つの合計7か所に造られました。最初のガス室は、1941年頃に第一収容所に造られ、約800人のソ連兵捕虜やポーランド人が実験的に殺害されました。

現在は、収容者の反乱による破壊や証拠隠滅のためにドイツ軍により破壊されていて、原型はとどめていません。しかし、負の遺産として復元され一般公開されています。

ガス室の広さとは

ガス室の広さは、各施設によって異なります。第一収容所のガス室の広さは、約7m×30mで、現在復元されています。このガス室に一度に約2000人押し込められ、天井からガスを噴射し、およそ20分で絶命させていたそうです。

使用したガスはチクロンB 

使用していたガスは、チクロンBというノミやシラミの駆除で使用された殺虫剤です。チクロンBは、空気に触れると致死性ガスに変わるという性質を持っていて、最も即効性があると認められています。このチクロンBは、ガス室での大量殺害に採用されました。

ガス室以外の殺害方法 

ガス施設での大量殺害以外にも、収容者は様々な方法で殺害されています。どれも収容者達への見せしめの意味合いを持ち、精神的な抑圧を目的としていました。

①銃殺刑 

収容所での逃亡者や反対勢力の収容者は、銃殺刑によって殺害されていました。第一収容所の10号棟と11号棟の間には、「死の壁」と呼ばれる高さ2メートル、幅4メートル程の壁が設置されています。その壁の前で大勢の収容者が殺害されました。

銃殺刑では、その銃声の音だけで、他の収容者への緊張や恐怖を植え付ける効果もあったとされています。

②斬首刑

銃殺刑と並び、斬首刑も執行されていて、直接収容者への具体的な死を目の当たりにさせることで、心理的な抑圧を図ることに成功していました。

③懲罰での死亡

その他にも懲罰として「鞭打ち」、「後ろ手に縛り体をつるす」、狭い部屋に4人を立たせたまま押し込む「立ち牢」、一切食事や水分を与えない「飢餓牢」などがあり、いずれの懲罰も過酷な環境下にいる収容者にとっては死を意味するものであり、他の収容者にとっては心理的抑圧となりました。この懲罰により、収容者からの反乱の士気をあげられないようにしていました。

強制収容の実態とは?

強制収容所はなぜ作られるようになり、大量虐殺に至るような悲劇を生み出してしまったのか?強制収容の実態について見ていきましょう。

最初に収容されたのは犯罪者達

戦時中ドイツは、ヨーロッパ全土を掌握したため、収容するべき人数が急増し、強制収容所の数もそれに伴い増えていきました。アウシュヴィッツ収容所が建設された当初は、反独的な外国人やドイツ国内での犯罪者、政治犯、経済犯などの人々が収容されていきました。

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