アウシュビッツ収容所には子供や女性もいた!ガス室や強制収容の実態を詳しく解説!

アウシュビッツ収容所の実態

それまでは、あまりユダヤ人という人種に関わらず犯罪者を収容していたナチスですが、1941年にヒトラーがユダヤ人を絶滅させることを決意します。その結果、ユダヤ人の肉体的抹殺を命令しました。それから絶滅収容所建設が開始し、続々とヨーロッパ中のユダヤ人が収容され、ガス室で殺害されました。

拒否権はなかったのか?

1935年、ナチスは新しい法律であるニュルンベルク法を発表し、事実上ユダヤ人を二流市民として市民権を剥奪しました。これにより、ユダヤ人は政治的な権利のほとんどを失ってしまったのです。

強制収容された人々の特徴とは?

強制収容所へ送られた人々は、ユダヤ人の他にも政治犯や心身障害者、同性愛者や聖職者が収容されていていました。当時ナチスのアーリア人至上主義の考えをもとに強制収容されています。

なぜ彼らが収容されてしまったのか?見ていきましょう。

ユダヤ人  

中世以来、反ユダヤ主義は宗教問題としてヨーロッパ中で色濃く残っていました。ユダヤ人はイエス・キリストを救世主と認めず、キリスト教を冒涜する存在として虐げられ、様々な制限をかけられました。ヨーロッパ中にキリスト教が広まっていく中、ナチス党首であるアドルフ・ヒトラーがドイツ国民をまとめるため、共通の敵としてユダヤ人という存在を利用しました。

また、ヒトラーは「優生学」に関心をもっており、「優性民族」であるアーリア人こそがヨーロッパを統一するべきという考えのもと、「劣等民族」であるユダヤ人を迫害、追放することを推し進めたのです。ヨーロッパ中のユダヤ人は600万人の被害があったと言われています。

身体及び精神障害のある人  

アドルフ・ヒトラーにとって、心身障害者は社会にとって無用な存在であり、純粋なアーリア人の血を脅かす存在として生きる価値なしとみなされました。知的障害、身体障害、精神障害者はガス室での殺害や「安楽死」プログラムという名目で殺害の標的にされました。これにより、1940年から1945年まで約20万人の障害者が殺害されています。

同性愛者や宗教家など

ナチスは「男性同性愛者はドイツ国家のために戦えず、子供も産めない存在」として、迫害の対象として位置づけていました。1937年から1939年にかけて同性愛者に対する迫害はさらに勢いを増していきました。収容所内では同性愛者を示すピンク色の三角形の印がつけられた収容者は、特に虐待があったと言われています。

収容所では、ユダヤ人以外にも、ポーランド人のカトリック聖職者やエホバの証人らも収容され、多くの宗教家も命を落としたとされています。エホバの証人は教えとして、武器を持つ戦いに参加しないことでナチスに忠誠を示さなかったため、強制収容場へ送られました。

残酷な人体実験

強制収容所内では、医学上という名目で様々な人体実験が行われていました。収容者は、実験に関する説明もないまま強制的に参加させられ、多くは死亡するか、後遺症が残りました。

双子への実験

双子への人体実験は、人体を人為的に操作することが可能かどうかや双子遺伝子の類似性・相違性を観察することを目的とされていました。異なる薬品を双子の目に注入され、色が変わるかの実験や双子を縫い合わせた結合双生児を作る実験がなされていました。

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