アウシュビッツ強制収容所には女性も居た!ガス室や強制収容の実態、住環境を公開

殺された人々の数は今でもはっきりわかりません。なぜなら、収容時の選別で価値なしとなった人々は登録もされることなく殺されたため、その人数も名前も記録されていないからです。あくまで推計ですが、アウシュビッツだけで120万人ほど、ヨーロッパ全土では600万人ほどの犠牲者がいるといわれています。

脱走することができた人もいた

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警備が厳しく、電気柵もあったアウシュビッツでは脱走は不可能と言われており、実際900人余りが脱走を試み成功したのは140人ほどしかいません。成功した人はナチスの制服を盗み軍人に成りすましたり、終戦直前の混乱に乗じたりして脱走しました。

脱走が見つかると死刑

脱走計画が見つかってしまうとすぐに罰が下されました。その場で銃で撃たれたり、協力した者も食べ物を与えずに餓死させたりして、他の被収容者の見せしめとなるようなやり方で殺害されました。

ユダヤ人を助けた人々

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迫害が進む一方で、ナチスによる収容や虐殺から人々を救った人もいました。宗教的思想から手を差し伸べる人もいれば、個人的な考えで行動に至る人もいました。彼らは職権や財産を使って、自らも罰される危険もはらみながら、たくさんの人々の命を救っています。

オスカー・シンドラー

彼はドイツ系の実業家で、自らの持つ工場に兵器製造部門を作り、そこでユダヤ人を働かせました。工場移転の際も不可欠な労働力であるとして1200人ほどのリストを作り、彼らを救いました。このエピソードはスピルバーグによって『シンドラーのリスト』という映画にもなっています。

樋口季一郎と杉原千畝

樋口季一郎は日本の軍人で、ハルピン特務機関長だったときに特別ビザを発給し満州国にユダヤ人を受け入れ、数千人の命を救いました。また杉原千畝は日本の外交官で、リトアニアの領事館に赴任していた際にユダヤ人に対して独断で日本を通過し他国に亡命できるビザを発行しました。それにより6000人ほどが助かったといいます。

アウシュビッツのガス室や強制収容は残酷だった

アウシュビッツの実態は筆舌に尽くしがたいほど残酷でした。しかし人類として知っておくべき重要な歴史でもあります。『アンネの日記』や『夜と霧』等関連する書籍や映画は多くありますし、福島県白河市には「アウシュビッツ平和博物館」もあるので、この機会に訪れてはいかがでしょうか。