津山三十人殺しの真相に迫る!犯人都井睦雄が起こした日本犯罪史上最も凶悪な事件とは

そしてそこから3.5㎞離れた仙の城と呼ばれる新坂峠の山頂に登りました。彼は追加で遺書を書いたのち、猟銃で自らの心臓に引き金を引き自殺しました。即死だったといいます。傍らには犯行に使用された凶器が並べられていました。遺体は翌朝の山狩りで発見されています。

津山三十人殺し事件犯人の遺書からみる犯行動機

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都井睦雄は事件の数日前にいくつかの遺書を書き残しています。長文でしたためられたその遺書からは彼の凄まじい怨念や屈辱感が伝わってきます。文中には犯行動機と考えられている記述が多くみられます。ここでは遺書の内容から読み取れる犯行動機を紹介します。

肺結核発病・徴兵検査不合格の劣等感

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都井は成人を迎え、徴兵検査を受けます。しかし、肺結核が原因で不合格となってしまいます。戦前の日本は男子は兵隊として国の役に立つことが名誉とされていた時代であり、日中戦争が始まり戦争が激化する中で兵隊になれず国の役にたてないということは日本男児としてかなり屈辱的なことでした。このことが彼に多大な劣等感を与えることになったのでした。

村八分の辛さ

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当時結核は不治の病であり、罹患すれば助からないとして忌み嫌われました。人々はみな冷たく、彼が道を通ると村人は皆避けて歩いたといいます。閉鎖的な村のコミュニティから疎まれるということは自分のよりどころを失うことに繋がります。この冷酷な仕打ちが都井の心に追い討ちをかけたことは想像に難くありません。村社会に関する都市伝説は下記をご覧ください。

女性からの拒絶

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さらに、肺病でありそれによって徴兵検査に不合格になったことで交際していた女性たちからも拒絶されてしまいます。ある女性はこれ見よがしに彼を侮辱し、関係を持っていた女性のひとりは根も葉もない噂や悪口を吹聴していたといいます。このことも彼の復讐心に火を着け、やがて関係していた女性たちに殺意を向けていったのでした。

津山三十人殺し事件犯人都井睦雄の人物像

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この凄惨な事件を引き起こした犯人都井睦雄とはどのような人物なのか。その用意周到な犯行計画からも彼の頭脳の明晰さを垣間見ることが出来ますが、成績優秀で真面目な彼がどのようにして犯行を起こすに至ったのか、その生い立ちや遺書などからその人物像に触れていきましょう。

学校の成績が良く頭脳明晰

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都井は彼を側に置いておきたいと願う祖母の溺愛により小学校を1年遅れて入学します。しかし、欠席がちながらも学業優秀で級長を任されたり、担任に上の学校に進学を進められるなど成績は良かったといいます。この頃の彼は将来を嘱望されており、のちに小説家を志望していたことも明らかになっています。

女性への異常な執着

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都井は結核や徴兵検査の不合格などが原因で村の女性から拒絶されるようになると畑でいきなり抱きついたり、猟銃で脅し「殺してやる」「交際しろ」と無理やり関係を持とうとしたといいます。未来を閉ざされたことに対する焦燥感や絶望感からでしょうか、この時期の彼には常軌を逸した女性への執着がみられます。

見え隠れする自己顕示欲

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犯行を実行する前とその後に都井は複数の遺書をしたためています。遺書の内容は自分に冷淡な村の人間に対する恨みや病気の身の上の悲しみなどが繰り返し綴られており、「僕が此の書物を残すのは自分が精神異常者ではなく前持って覚悟の死である世の人に見てもらいたいためである」という文章や、以前友人に漏らした「どうせ死ぬなら阿部定よりもでかいことをしたい」というセリフからも恵まれない彼の世間に向けて自分の存在を知らしめたいという自己顕示欲の現れが感じられます。

津山三十人殺し事件犯人都井睦雄の犯行時の出で立ち

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都井睦雄の犯行時の出で立ちは異様でかつ機能性に富みインパクトに満ちています。のちに小説や映画などでも再現されているその姿はどのようなものだったのでしょうか。ここで詳しく紹介します。

犯行時の服装

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服装は学生服に身を包み、カバンに弾薬を詰めて斜めに掛け、脚にはゲートル(軍隊で使う脛に巻く布)を巻き地下足袋を履くといった格好でした。まるでどこか軍人にも似たこの装いは兵隊になることが叶わなかった彼の無念と憧憬の現れなのかもしれません。

鉢巻と懐中電灯

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頭には鉢巻を巻き、そこに懐中電灯を左右に2本差したその姿は彼を目の前にした住人からはさながら鬼のように写ったでしょう。さらに首から自転車用のランプも提げ、停電中の村の中でも的確に犯行を行えるようにしたのです。

津山三十人殺し事件の犯行に使われた凶器

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犯行に使用された凶器は猟銃・日本刀・斧の3つです。以前都井は祖母の体を気遣い味噌汁に薬を入れているのを本人に目撃され、「孫に殺される」と警察に通報されたことがありました。その際に一度集めた凶器を押収されたという経緯があります。住民惨殺に使用された凶器は一体どのようなものなのか、どういったルートで入手したのか解説していきます。

猟銃

都井は購入した最初の猟銃を警察に押収されたのち、知人を通して再購入し改造した9連発ブローニング猟銃を使用しました。この銃の威力は凄まじく、現場には内臓や脳髄が飛び散り悲惨な様相を呈していたといいます。犠牲者は主にこのブローニング銃から連射されたダムダム弾によって惨殺されました。

日本刀

刀剣愛好会の会長から譲り受けた日本刀で、都井は「岡山の連隊にいる従兄の軍曹昇進祝いに軍刀を贈りたいから」と嘘をつき安値で手に入れます。襲撃後一番初めの家を襲撃した際に使用された凶器です。

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