津山三十人殺しの真相に迫る!犯人都井睦雄が起こした日本犯罪史上最も凶悪な事件とは

事件発生後最初の犠牲者となった都井の祖母の首をはねた際に使用された凶器です。こちらは薪割り用なのかあるいは山村ということもあり、山などで木を切る際に日常的に利用されていたものを凶器としたのでしょう。

津山三十人殺し事件の犯人都井睦雄をめぐる女性問題

都井睦雄は村の複数の女性と関係を持っており、それが犯行動機にも繋がっています。しかし、それは彼に限ったことではなく、村の多くの男女がそうでした。当時の村の習慣に触れながら彼の女性問題についてここで紐解いていきます。

被害者女性と関係を持ったという主張

ivanovgood / Pixabay

都井は自分と関係を持った女性の家を次々と襲撃しています。1軒目の未亡人は何度も都井と夜這いの関係にありましたが、最近になって拒絶するようになり、そのことを村中に言いふらしていたことで彼の恨みを買っていました。

ivanovgood / Pixabay

2軒目の人妻とも関係していましたが、こちらも「何度も迫られたが断った」というようなことを吹聴してまわっていたことで都井に恨まれています。5軒目の寺井ゆり子は都井と関係していたものの、親戚に彼から遠ざかるように促され、別の男性と結婚します。都井が最も意識していた女性の1人です。

RondellMelling / Pixabay

7軒目の未亡人は都井との関係を捨て別の男性に走り、遺書にも名前のある西田良子と寺井ゆり子の結婚の媒酌人を務めたことが都井の怒りに触れたのでした。7軒目の娘は以前都井との関係を拒絶したことで殺害対象となっています。

Olichel / Pixabay

11軒目の女性は10軒目の主人とも関係しており、都井とも懇意の仲でしたが、最近態度が冷たくなったことが襲撃理由となります。このような怨恨が積み重なり、犯行へとつながっていったのです。

夜這いの習慣

naturalogy / Pixabay

当時この村では夜這いの風習があり、村の男は夜になると好意にしている女の家に通い、性行為に及んでいました。戸締りもあまりせず、娯楽の無い農村では表沙汰にはできないにしろごく一般的なことだったようです。都井をはじめとした村の男女の多くは妻帯者であるなし関係なく密かに肉体関係にありました。

都井睦雄のストーカー的妄想の可能性

geralt / Pixabay

しかし、70年の歳月を経た事件の証人である老人の情報によると都井と被害者の間に交際関係はなく、村中の人間と関係すること自体を疑問視しています。元々証人がほとんど命を落としているため事件全体の概要が不明瞭であり、このような証言の存在から都井の主張する女性たちとの交わりの信憑性も薄れてきます。彼は結核によって死の恐怖に苛まれ、女性たちにも相手にされず、村の風評に悩んだ極限状態によって次第に関係妄想を肥大化させていった可能性があります。

津山三十人殺し事件の犯人都井睦雄と生き残った寺井ゆり子

isakarakus / Pixabay

都井が5月21日を犯行日に指定したのは、当時集落で評判の美人で幼馴染であり彼が最も好意を寄せながらも他家に嫁いでいた寺井ゆり子が帰郷していたためだったという説が存在しています。彼女は都井にとってどのような存在だったのか、また彼女が事件後をどのように過ごしたのかに迫ります。

寺井ゆり子の結婚を妨害しようと試みる

kpuljek / Pixabay

寺井ゆり子は都井と関係があった1人だといわれていますが都井の妄想であったという説もありはっきりとしたことはわかりませんが、別の男性と結婚することに決まった彼女に対して夜這いをしかけ、それを阻止しようとしたことが彼女への並々ならぬ思いを如実に表しています。

寺井ゆり子を執拗に狙う執着心

Free-Photos / Pixabay

事件発生時都井は隣家に逃げ込んだ彼女を見逃さず追いかけ、「お前を残していけない」と叫びながら銃を連射しますが結局軽傷を負っただけで助かりました。新坂峠で書いた遺書にも寺井ゆり子を殺し損ねたことを記していることから、並々ならぬ彼女への執着心が見て取れます。

事件後寺井ゆり子を襲う自責の念

Alexas_Fotos / Pixabay

なんとか一命を取り留めた彼女でしたが、事件後村であらぬ噂を立てられ村八分同然の扱いを受け、半年後生まれた子供も「都井の子」ではないかと囁かれるなど、自身も事件の被害者でありながら不遇な人生をおくります。毎日犠牲者の冥福を祈りながら手を合わせ、さぞ肩身の狭い年月を過ごしたことでしょう。

NEXT 村八分に関するその他事件