地図にない村は実在する?千葉や山梨の実在する村と都市伝説まとめ

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池添村は書き込みをした人が以前先輩に連れて行かれましたが、場所はどこだかわからいと前置きしてはじまりました。場所をききたくでも先輩はすでにこの世にいないというのです。どうしたのでしょう。

池添村に入ると亡くなるという噂

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連れて行ってくれた先輩がその後亡くなったとありますから、そこから噂が広まったのだと推理されています。池添村は、限界集落で裏手にはたくさんの墓石が並んでいます。なぜ村に入ると死ぬのか語られてはいません。

お盆にはお花を家の前に置く

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苗字は3種類しかなくて、みんな屋号で呼び合っているようです。お盆にはそれぞれの玄関に墓参り用の花が置かれていました。その光景は気味が悪かったと言っています。その花は軽トラに積まれて来て配られたようです。

お店はたったの3つだけ

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お店は雑貨屋と簡易郵便局、移動販売車が来るだけです。お店はだった2つだけって書き込みも見たように記憶していますが、移動販売車を入れると3つだけになりますね。それにしても、未だに存在すらわからないとは存在していないのでしょうか。

地図にない村⑦自殺者が多い「下多島村」

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下多島村は自殺者が多いです。投稿サイトに名前が挙がってから所在地探しが行われています。奇妙な投稿でしたからインパクトがありました。上多島村があるはずだと探していますがそちらも見つかっていないのです。

宮城県にあるという噂の下多島村

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宮城県に下田島村があります。今ではその村が有力視されています。下田島村は賎民の部落だったといわれ、自殺者が多かったと伝えられています。下多島村との共通点があるので、この地ではないかとされています。

自殺理由は身分差による健康状態

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また香川県にも下多肥島という地名がありますが、村名のほかに共通点はありませんので、あまり話題にはのぼりませんでした。自殺が多い理由は身分差による影響ではないかと推理されています。つまり影響状態が悪く病に将来を見ることが出来ない故の自殺だと理由づけられています。

自殺者全員が首つり自殺だった

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村には3本の電柱があり、村人はその電柱にロープを下げて首をくくるのです。村人の死因は全員が首吊り自殺でした。確かに日本は諸外国と比べて自殺率が高いことが問題になっています。身分制度も記憶している者がいる以上完全になくなってはいないのです。

地図にない村⑧山梨県の「八坂村」

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巨摩郡身延町にあるとされる八坂村は、樹海の中に数軒の家が地図上で確認できます。しかしマップ上では立るいるのにも道路がないのです。八坂村に向かっても、行きつけないとネット上で話題になりました。

山梨県の富士山のふもとにある

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ほんの少し前まで、グーグルマップにもヤフーマップにも八坂村に至る道路地図は見当たりませんでした。騒ぎになったのがきっかけなのか、今では道路が通っている地図になっています。そうすると、地図から漏れることもあるの

村の住民は現在2人

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八坂村は古い歴史のある村ですが、超限界集落で住人は2人しかいません。昔は60人もいたそうです。地図で見ると樹海の中に家が数軒集まっています。閉鎖的ということではなく、2人では広がりようもありません。

昔からこのあたりには3つの集落がありました。八坂村を目指しても辿りつけないと都市伝説になり、徒歩で目指したり、車で目指したりしました。そして行きつけなかったと掲示板に書き込みます。幻の村と噂が膨らみました。

八坂村は三ッ沢を目指すと行ける

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まず地図に載っている八坂は三ツ沢集落だったのです。だから地図を目安に行くと三ツ沢集落に着いてしまいます。そして八坂を目指して行くと分岐点にでます。ここで八坂方向に行くのではなく、三ツ沢方向に進むと八坂に出ます?

八坂方向に行くと空中庭園なる場所に出ます。八坂集落には現在誰もいない用です。ただオカルト要素はないもののこのあたりに車で入るとなぜかナンバーを控える人が現れると言われています。これは事実で、よそ者が入るとナンバーを控えるそうです。あなたは見られています。

地図にない村⑨岡山県津山市北部の「津川原村」

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誤解する人が多いので前置きします。津山30人殺しは実際にあった凄惨を極める殺人事件ですが津川原村は全く別の事件です。最後の農民一揆の時代を背景に、混乱していた時代に起こった忌まわしい事件なのです。忘れてしまいたいような。

町民が皆殺しにされた村

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明治6年6月、津川原村は町民を皆殺しにすべく、賀茂村の百姓に襲撃されました。日本の歴史上最後の百姓一揆とされている美作血税一揆で熱狂している社会的背景の最中、賀茂村の農民2000人が被差別部落の100戸の津川原部落を襲いました。

百人一揆の最中起こった悲劇

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日本政府が近代化を図り士農工商エタ非人の制度を撤廃しました。津川原村の住人は周囲のエタ部落の者がエタのままでいいと証文を書かされるなか、プライドを持ち屈することがなかったのです。農民たちは部落の者と同じ湯に入ることが許せなかったと伝わっています。

彼らと同等だということに腹をたてた賀茂村の農民が斧や鎌などの武器を持ち、終夜追いかけて津川原村の18人を殺害、多くの重軽傷者をだしました。襲った方も15人が死刑となり、村の名前は消滅しました。

忘れ去られた津川原村

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集落自体は今も残り、おぞましい記憶も受け継がれ現在も慰霊をしています。ここは津川原村ですかと質問しても知らないと言うか、違うと答えるそうです。誰も知らない、誰も語らない時が経ち忘れ去られてゆきました。

地図にない村⑩滋賀県の「甲頭倉集落」

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甲頭倉(こうずくら)集落は滋賀県の山中にあります。1874年に滋賀県に編入され甲頭倉村になり、1889年に7市町村が合併1941年に多賀町に合併現在に至ります。甲頭倉集落は今も残りますが、地図上は多賀町です。

炭鉱や林業のための村

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最盛期は53戸の家がありましたが、現在は衰退の一途を辿り廃村になりました。もともと炭を焼いて生計を立てていましたが、鉱山が開きにわかに活気を帯びました。30年で閉山となりゆっくりと廃村になりました。

家はいまだに残っている

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地図から村の名前は消えてしまいましたが、集落は残っています。トタン屋根か瓦屋根の家が多く、アルミサッシが取り付けられた近代的な家です。しっかり管理されているらしく、保存状態は良好です。

許可があれば行ける場所

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県道17号線に続く集落入口にバリケードが張られていますが、甲頭倉創生会の許可があれば、村に立ち入ることは可能です。村には祭りの道具など管理され、村の記憶を残そうとしています。誰もいない村の荒廃した気配はありません。

地図にない村⑪実在した?「巨頭オ」

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2ちゃんねるに書きこまれた話しです。「昔行った宿のもてなしがとてもよかったので、ふいに行きたくなり車を走らせました」そして赤い字の看板を見つけ、道を入っていくと、宿などありそうもなく、記憶とは違っていました。

オカルト板での伝説の場所

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2006年2月22日に初めて2ちゃんねるの死ぬほど洒落にならない怖い話しに投稿されました。道の奥で車を停めると奥から頭の大きい奇怪な姿の者たちが出てきました。恐ろしくて夢中で逃げ帰ったという内容でした。

鹿児島県で看板が見つかった。

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それから10年以上たった2018年8月に鹿児島県の金峰山に向かう道で巨頭ォという看板を見つけたと、写真付きの書き込みがあり、一気に都市伝説の仲間入りを果たしました。あれか10年の歳月が経ち話にリアリティーが出て脚光を浴びたのです。

実際の場所は不明

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YouTuberが場所を特定したときには、看板はありませんでした。捜査しましたが村もまだ発見されてはいません。あの赤い文字の看板は地元民のいたずらではないかと囁かれています。さらに奥に行ってしまったとの仮説も噂になりました。

巨頭オを詳しく

地図にない村⑫鹿児島県甑島列島の「クロ宗集落」

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隠れキリシタンの一部だといわれています。キリスト教弾圧の折に舟でこの地まで逃れてきて、島民との一切の接触を避けて、世間から隔絶して信仰のためだけに生きてきた者たちではないかと推測されています。

キリスト教徒のための集落

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鹿児島甑島だけに伝わる土着の宗教で、葬式の儀式はとくに独自性があると噂されています。隠れキリシタンがこの地に来てから、少しずつ独自の宗教感を持ち、黒魔術化しているのではないかとの噂もあります。

島民は6000人超え

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甑島島の島民は6000人を超えていますが、クロ衆に所属しているのは20戸ほどだとされています。現在では、この規模の島で信者も神父様の姿を知る者がいないとは感が憎いと完全に否定する者もいます。

クロ集落はデマという話

地元のテレビデレクターの取材のこぼれ話として、クロ衆が死の淵に立ったら司祭の元にタンカで運び、生きているうちに肝を抜き血をすするといっていました。地元民はありえないといいます。デレクターはこの先も追うと話します。

クロ衆の家は3mの塀で覆われていて、内部の話しは絶対に外に漏らさない。デレクターが知るはずもないと島民はいいます。クロ衆自体デマである可能性も拭えません。確かに隠れキリシタンは地域によって独自の形態を歩んできました。洗礼を授かったが洗礼名さえ秘密にし、当人さえ知らないような事も実際あります。

いきなり異世界に行った人々①

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いきなり異世界に行ったという書き込みがネット上にはたくさんあります。世界が真っ赤だったとか、日本語のようだけど全く読めないし言葉もわからない。共通点があったりなかったりします。なかでも印象深い話を紹介いたします。

東北大震災でできた時空の歪み

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被災地に数人の男女がワゴン車に乗って出かけた途中て、奇妙なもやに突入、ロマネスク時代と大正時代が混ざったような時代の風景の中を窓の外に見た話しはもう誰もが知る話しですが、目撃した人については消防の男性のみで、あとは伏せらています。

もうひとりが、この時空の歪みを研究している今井教授の知り合いの警察関係者だといいます。震災の時に、目の前で旦那様が空中に空いた穴に吸い込まれてしまったと話題になりました。その男性は1985年3月15日に現れました。

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今井教授の知人の警視庁の刑事が新人で初めての勤務の日だから記憶していたのです。一度は1961年に行き、すぐに1981年に来てしまったと話したのです。他にも、封建時代から幕末にかけての時代を一瞬垣間見たことは取材によってたくさんの情報を得たそうです。

原因はメルトダウンが関係していると、メルトダウンにより想像を超えるエネルギーが拡散されたのかも知れません。チェルノブイリでもたくさんの時空の歪みの報告があります。第3次世界大戦で核が使われたとしたら、町1つくらい飲み込むエネルギーが拡散されたかもしれません。

いきなり異世界に行った人々②

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ネットの中で赤い世界を検索したら20パターンじゃ済まないくらいたくさんありますね、中には情景がまったく同じだったりします。錯覚だといいますか?異世界にはいくつかの共通するパターンがあります。バラバラになってしまった世界が時のはざまに漂っているという仮説もあります。

赤い町の異世界

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放課後、図書館の窓際に立って本を読んでいる時に、ふっと目をあげたら空が真っ赤だった。雲もなくべったり真っ赤だった。団地のエレベーターに3人が乗り合わせました。宅配業者と見習い、住人。エレベーターは途中で止まり、しばらくしたら動き出しました。屋上までドアが開かず屋上で降りたら世界が真っ赤でした。

夕焼けの赤ではなく、油絵の具を塗りつけたような赤。家から外に出たら真っ赤な工場地帯だった、今出た玄関を振り返ると、何十年も使われていないようにサビついていました。怖くなって泣いていたら、おばあちゃんが泣きながら中から開けてくれました。赤い町を見たのはそれきりです。

地図にない村はすぐそばにあるかも

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地図にない村の真実は詳しく知ろうとすると見えなくなってしまいます。実際に行ったという人がいる以上はどこかに存在するはずです。ただしそこは誰かの土地であったり住居かも知れませんむやみに立ち入らないでください。

杉原村に関するこちら

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