宜保愛子の死因は胃癌だったのか?彼女の霊能力と噂されるかもめ荘の呪いを検証する

そしてその後豊臣秀吉が山崎の戦いにて、仇討ちの形で光秀を討ち、すぐに「光秀は己の恨みから信長を殺した」と歴史書に記したと言います。つまり、謀反のきっかけを作ったのは家康、そして史実を捻じ曲げた黒幕は秀吉だということになります。墓を見ただけでその無念さを感じ取った宜保のこのエピソードも、ファンの間では非常に有名です。

宜保愛子の霊能力は本物だったのか!?

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これら数々の功績から人気を不動のものにした宜保愛子でしたが、そこには「批判派」も存在しました。どのような人物が何を指摘したのか、また、宜保の霊能力は本当に存在したのか。そのエピソードについてご紹介します。

物理学者「大槻義彦」VS    霊能力者「宜保愛子」

90年代に入ると、宜保の霊能力は果たして本物なのかという批判、議論が巻き起こります。その先駆者として、物理学者の「大槻義彦」という人物がいました。彼は物理学者として「オカルトには自然現象として片づけられるものもあるが、それ以外の超常現象などは存在しない」と主張していました。

また、宜保の著書「宜保愛子の死後の世界(日東書院本社)」にて、大槻の研究の中で生まれたプラズマ実験写真が「心霊写真」として使われていたことが発覚し、更に大槻からの批判を受けることとなります。

宜保愛子の矛盾

では、実際に宜保の能力に怪しい箇所はあったのでしょうか。大槻が物理学者として主張したこととは何だったのか、そして、それに対し宜保はどのようなアクションを起こしたのか、ここではそちらを解説します。

大槻の主張

写真盗用の件を発端に、大槻は宜保の矛盾点を指摘した著書を出版するに至ります。その中には「彼女は事前にリサーチを行い、それをさも見えたかのように話している」「昨今のオカルトブームに見る超常現象は、物理学と矛盾している。それが本当だと言うなら、私は出版した本を全て回収せねばならない」という趣旨のことが書かれていました。

また、宜保がホットリーディング(対象の情報を事前に調べ、霊視の結果として見えたように告げる心理テクニック)を多用しているとも主張し、「霊能力が本物だと言うなら、自分の提示した条件下で霊視を披露してほしい」と訴えました。

宜保の逃亡

そして、実際にTV局側が大槻と宜保の対決を企画。しかし、前日になり宜保側がキャンセルし、その後本人、マネージャー共に連絡が取れなくなったことから、大槻の彼女への不信感は募っていきました。

ロンドンタワーでの霊視

またこの頃タイミングの悪いことに、宜保の霊視に矛盾点が発見されます。宜保は1993年の年末特番「新たなる挑戦2」にて、中世の要塞・ロンドン塔を霊視しました。この塔の上階にあるベッドに、1483年に殺害されたとされるエドワード5世、ヨーク公リチャードの二人が座っているのが見えると話したのです。

史実との矛盾

しかしそのベッドのある階は、二人が死亡した1世紀以上も後に増築された場所だったのです。また、その時の霊視内容が夏目漱石の小説「倫敦塔(ろんどんとう・漱石が実際にロンドン塔を見た時の感想を元に書いたフィクション作品)」に酷似していたことも追及され、宜保の霊視能力に疑問符が投げかけられることとなりました。

宜保の能力の真否は?

では、宜保の能力は全くの偽物であったのでしょうか。いいえ、霊能力、超能力とは本来、不安定なものであってなんらおかしくないのです。普通の人間の体調も日々違うように、霊視能力にも見える日、見えない日があるのが自然です。しかし、ひとつ言い当てられなかっただけでペテン師と糾弾され、消えていった霊能者は沢山います。

宜保の生前の言葉に「皆さんが信じてくださっていると見やすいのです」というものがありました。多忙なスケジュール、必ず当ててくれという制作サイドからのプレッシャー。その中で、繊細な能力が混線してしまうということは充分にあり得るでしょう。よって、宜保の能力が嘘だとは、一概に断言出来ないのです。

オウム真理教と宜保愛子の転落

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人気が出た分だけ批判を受けることも多くなった宜保愛子でしたが、メディアは彼女を積極的に起用し続けていました。しかし、あの歴史的事件の影響によってその雲行きが怪しくなっていったのです。

世間を震撼させたオウム真理教事件

1995320日午前750分、オウム真理教の手によって、あの地下鉄サリン事件が起こりました。運転中の地下鉄車両内で猛毒の神経ガス「サリン」が撒かれ、死者13人、重軽傷者6,300人以上と、その被害は大きすぎるものでした。

この事件を発端に、同年5月にオウム真理教代表・麻原彰晃 (松本智津夫)は逮捕。事件から20年以上が経った今でも、後遺症に苦しむ被害者、また近しい人を失った人々の悲しみは癒えません。

オカルト系番組放送自粛

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この歴史的事件を受け、それまでブームになっていたとも言えるオカルト系番組に対し「オウム事件を誘発したのではないか」というクレームが連日入るようになりました。そのあおりを受け、TV業界は一気にオカルト系番組を自粛。キー局からはオカルトを匂わせるワードが一切消え、代わりに連日、オウム真理教を扱った番組がTV欄に並びました。

宜保愛子メディアから消える

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宜保愛子の一番の売りはその霊視能力でした。オウム真理教を扱う番組に宜保が呼ばれるはずもなく、オカルト系番組が消える中で彼女の出演回数も激減。ここから、約5年間メディア露出から遠ざかることとなります。そして、フジテレビ制作のネプチューンの番組「力合わせてゴーゴゴー!宜保スペシャル強力版」が最後のTV出演となりました。

宜保愛子の死

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メディアから遠ざかったものの、宜保を信頼し支持するファンの数は少なくありませんでした。しかし数年後、世間は宜保の急な訃報に驚くこととなります。そこには、発表された死因とは別の恐ろしい呪いの噂が存在しました。

宜保愛子の死因は「胃癌」

宜保愛子は2003年5月6日、胃癌により、入院先の病院で亡くなりました。激動の人生を駆け抜けた彼女は、享年71歳でした。意外にもこの時、彼女に批判的だった大槻義彦は「私は彼女の霊能力について疑問を抱き、検証、批判をしたが、彼女の人間性は評価していた」という旨の追悼の言葉を発表しました。

近親者のみでの葬儀

宜保の生前の希望により、葬儀は近親者のみで行われました。宜保のファン、支持者たちも参列したいと願いましたが、それは叶わずに終わります。あれほどの人気を博した人物があまりにもひっそりと送られていったことで、もしかしたら宜保の死には普通ではない何かあるのではないか?という噂が飛び交うようになりました。

まことしやかに囁かれる「かもめ荘の呪い」

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宜保愛子は、生前長きに渡って膨大な数の心霊相談、霊視、心霊スポットへの訪問、除霊を行ってきました。その経歴と「ひっそりと行われた葬儀」というキーワードから、人々はもしや宜保の死因は胃癌ではないのではないか、何か霊的な力が働き、公に出来ない形で亡くなったのではないかと考えました。

例えば悪霊の力、祟り、呪い…そういうものに取り込まれてしまったと考えてもおかしくないのではないか?皆がそんな考えを持った頃、どこからともなく浮上したのが「かもめ荘の呪い」という言葉でした。

宜保愛子の死因とかもめ荘

宜保の死に浮かび上がった「かもめ荘の呪い」。あの宜保愛子を死に追いやったのだとしたら、それは相当に強い力であると言えます。かもめ荘とはどこにある、どのような建物なのか?また、その「呪い」とは一体どういうものなのでしょうか。

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