おじろくおじろくばさとは?昭和まで続いた長野県での嘘のような悲しい奴隷制度

病気になられたら困りますし、寝込まれたら大変です。とりあえず、面倒は見ます。三度の飯は与えます。寒くないように着物も着せます。それだけで、衣食住には足りますから。先祖代々文句を言う者などおりませんでした。

外界と上手く関われず戻ってくる者も

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どんなきっかけで家を出されたのか、経緯が書かれていないので分かりませんが、小銭さえ持たない彼等が家を出るのはよほどのことがあったと想像できます。食べていけるのなら、そこで家を守るのが仕事と刷り込まれています。外界と遮断された世界に生きた者が交れなかったのもうなづけます。

おじろくおばさが家を出るのは、親が亡くなり長男が跡を継いだときだったり、嫁が入ったときだったりしました。自分がいることで、この家の負担も限界だと感じたときに家を出ます。死に場所を求めて死にきれなく戻ることもあります。彼らは語りませんから事実はわかりません。いつのまにかいなくなり、いつのまにか部屋の隅に座っています。

おじろくおばさの問題点

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本当につい最近まで日本にこんな制度があったのかと驚くばかりですが、それは日本社会が未だに過去の封建制を引きずっているからです。元々日本は身分制度を土台としてきました。武士が1番偉いと決められていたのです。

意義など唱えたらたちまち打ち首です。農業などの1次産業が身分制度の2番目だとは到底信じられないと、その理不尽な内容は授業にも度々出てきました。農民が2番目に偉いとしたのは、この悪しき制度の隠れ蓑だったのです。

人格を認めず奴隷化してしまう

おじろくおばさはあってはならない制度でした。人を家畜のように扱い奴隷化してしまう制度は、今の時代では到底信じがたく受け入れることはできません。家長が土地をたくさん持っていた場合は田畑を分けて独立することもあったようです。

年貢を領主に納める制度もある地域では未だにあります。お互いの利便性と領主に対しての信頼関係が出来上がっているのです。表向きは小作人とは言っていないのです。まだまだ日本には時代から取り残された立ち遅れた地域が存在します。

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狭い村で近親婚を繰り返すうちにこのような分裂病に似た症状の発症を疑い、血縁も調べましたし、遺伝子の調査もされたようですが、さこにはなにも要因となるものはありませんでした。子供のころは普通で、20歳を過ぎたころから人付き合いをしなくなるのは、長い抑圧されたことが原因と考えるほかはないのかも知れません。

おじろくおばさは感情がもてなくなってしまう

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おじろくおばさは感情が持てなくなってしまうほどに感情を押し殺して生きてきたのです。いえ、押し殺していたわけではなく、考える必要がない、するべきことは兄や家人が指示します。せっせと働けば、家族として扱ってもらえます。

無駄口は禍の元です。例の小さい大国が良い例です。トップの意に沿うように働けば、悪いことは起こりません。口をきかなければ腹の底は見えません。ただ、タバコの密売をしていたおじろくもいて、売ったお金は小遣いにしていたといいます。

おじろくおばさは紡績工場の発展とともに消滅

長野近隣で紡績工場は岡谷製糸所を指します。岡谷製糸所は過酷な労働環境で、映画にもなりました。当時の山間部は食べるのにやっとでした。でも皆が皆んな泣きながら働きに出たわけではありませ。一部の貧しい者たちにとっては一筋の光だったのです。

職場ができお金を稼げるようになった

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製糸所に送り込まれる少女たちは、口減らしといわれ、貧しい家の子どもでした。製糸所に子供を送った家は、陰口をきかれ、それはそれで肩身が狭かったものです。ただそれほどまでに貧しい家の子は喜んで出かけて行ったと聞いています。製糸所で、働く女性たちの言葉が残されています。厳しいし、辛いけど、家にいるよりまし。

少女たちは、誰に遠慮なく自由な時間が与えられます。目のまえに自分の飯が置かれることに目を見張ったといいます。岡谷の製糸所の暮らしは悪くなかったと実際に女工として働いた老人から話を聞きました。彼女は帰ってから家でお蚕さんから繭をとり、機織りを生涯続けました。手に職をつけて戻って来たのです。

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