おじろくおじろくばさとは?昭和まで続いた長野県での嘘のような悲しい奴隷制度

岡谷の製糸所は小さな製糸所がほとんどで、女工さんの数は3人くらいの規模から、多い所で12、3人でした。その小さい家内工業のような製糸所が輸出高世界1まで駆け上がって行きました。町には活気がありました。

女工の賃金と待遇

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明治の始め頃の女工の労働時間は一日12時間。食事は1日3回、7銭5厘でした。当時女工宿舎は結核の患者が多数いて、宿舎をともにしていたといいます。外出するときには屈強な男がつきそいました。屑糸をたくさん出した女性が裸に剥かれ意識不明で路上に倒れていたところを通行人に発見され通報する事件が起きました。

上記のタイトルは『鐘紡の女工虐待監獄のごとし』という当時の報道記事です。そから近代化に向かい、国営の富岡製糸所は、良家の子女がこぞって働くほどの水準になりました。岡谷の製糸所の1870年代の記録によると、女工は一番下が9歳であり、賃金は出来高制で1年で12園ほどだったといいます。

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都会の工場よりのどかだったようで、週に半日早上がりの日があり、日中で暇があれば野山で遊んだとあります。明治14年くらいになると天竜川流域の女工が増えたとあります。それだけの現金を持ち帰ったらおばさの立場ではなくなるでしょうね。

大福餅が1銭で2個買えた時代です。当時の1円は2万円くらいの価値に相当します。また林業もその頃には上向き、神原村の暮らし向きも多少は上向いていたのではないでしょうか。おじろくおばさは20代なかばになればまた家に戻ってきます。

おじろくおばさは現代社会にも当てはまるのか

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現代社会には社畜という言葉が新たに生まれました。自分の感情を抑えて働く、会社のためなら悪いことでも指示された通りにやってしまう。まさに飼いならされた社畜だと揶揄されています。おじろくおばさに通じるところはあるのです。

社畜

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社畜といわれるほど、魂までは売り渡していないのかもしれません。でも、知らないだけでそのような厳しい環境で働いている方々もいます。最近では、大手コンビニチェーンのオーナーが本部の意向で過酷な労働環境に置かれていることが問題になっています。

会社のため、家族のためという意識の中に自分のためという思いがあれば社畜ではないのですが、あまりにも厳しい労働環境に置かれてたら、自分のためという思いは消えてしまいます。マインドコントロールされた機械のようです。

引きこもり

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引きこもりとは違います。少なくとも、仕事をしているのです。近所の人に挨拶をしないのは、自分自身を一人前だと思っていないのです。前に出てはいけない。自分のような厄介者が家にいることが、外に知られたくないのです。あくまでも厄介になっていると思いこんでしまっているのです。労働に対する対価など考えられない時代でした。

姪や甥は、おじろくおばさをないがしろにはしていません。ときに遊び相手だったり身内のおじさん、おばさんなのです。やはり成人を過ぎた長男だけは、彼らを厄介者扱いします。引きこもりと違うのは、彼らは逃避はしていない。自己防衛しながら、したたかに生きています。

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日本の隠したい身分制度

最近では学校で士・農・工・商・エタ・非人という身分制度は教えてないのですが、そういった身分制度はなかったと訂正しました。身分ではなく職業の区分であるとされています。2000年頃から間違いだったと記載がなくなりました。

実は更に酷い格差があった

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身分制度は、武士、平民、賎民に分かれていましたが、学校では身分制度はないと教えられます。黒歴史ってことですね。身分制度とは絶望的に這い上がれない格差です。江戸時代には湯屋がありましたが、入れるのは平民までです。えた、非人は同じ湯には入れません。身分制度を撤廃したときには百姓が一揆を起こしました。

同じ立場が我慢できなかったのです。賎民の起源は古く、元は賎業を課せられた奴隷です。賎民制が廃されて、それに係るエタ、非人、猿飼、ささら、おんぼう、鉢開きなどを四民平等としました。非人とエタとの間には上下関係はなく、同等の扱いです。これが身分でなく職業区分とするなら、職業の差別はあるわけで、官僚思想そのままな日本です。

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