江戸時代の日本を考えたとき、職業は世襲であり、選択の自由などありませんでした。生まれ落ちた所でそれより上は望めないのです。近世の戸籍制度が確立する中でえた、非人は百姓町人と台帳を分けられました。身分制度の底辺として確立し、賤民が作られました。賤民は盗賊同類とされ、明暦二年には賤民の隔離監視されるべきだと唱えられました。
またエタと非人の間に支配関係が生まれました。その立場を利用して、賢く生き抜いた集団もありました。和泉国の泉郡南王子村では、雪駄製造のみが許されてまいしたが、皮の値下げ交渉を集団で行ったり販路の拡大に尽力し、財力を身にゆきました。すると近隣の百姓や町民が自らこの村に入り賤民になる者が現れました。
昭和の劇場型犯罪!もまた、社会の在り方を問うています。
戸籍を持たないサンカ
この国には戸籍すらないサンカと呼ばれる人たちがいました。定住することなく、山から山に移動して、寺の軒先や洞穴などに寝泊まりしていました。明治時代にはその数20万人とも言われ、地方によって呼び方もちがいます。犯罪組織やアウトローの噂もありました。
サンカの生活
地域によって、川漁をしたり、竹細工や蓑をつくり農村で売っていた。また地方によってはささらや箒を売ったりして現金収入も得ていたようです。昭和30年代に入り明治時代の人別から漏れた者も漏れなく国家に吸収されたことになっています。サンカのことはまだはっきりとはわかっていません。
今の日本にはすでに存在していません。サンカについて書かれた本が後に偽物だとされたり、聞き取りだけで検証されないまま世に出たのです。サンカこそが日本に残された最大のミステリーかも知れません。最近ではまた秘密結社説なども論じられていますが、いまのところはミステリー、オカルトの域を出ていないのです。
おじろくおばさは人道的に残してはならない制度
時代のせいにはできないですよ。ギリシャ時代でも報酬は支払われていました。農耕民俗は食料を自分の手で作りますから、自分のためですね。労働はしているのですが、お金にならない労働なので、養ってもらっていると思いこまされています。
働かざるもの食うべからず。無駄飯食い。そんな立場に置かれている者にぶつける乱暴な言葉に対する防衛手段は耳を貸さないことです。唯一できる自己防衛が心を閉ざし語らないことだったのです。村社会は得てしてその残忍さに気がつかない。
食べられなくなるのは明日は我が身ですから「あの厄介者さえいなければ」日常的に乱暴な言葉をぶつけます。日本社会はおば捨てなど、酷い因習もありました。今も格差は広がっています。繰り返さないことです。
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