無実の罪で斬首刑となったアン・ブーリン|強く生きたその生涯をご紹介

こちらの時計はヘンリー8世がアンブーリンへ送った、2人のイニシャル入りの時計です。立ち塞がった困難にも負けず多くの犠牲を払いついに結ばれたヘンリー8世とアンブーリン。しかしアンブーリンを待ち受けていたのは幸せな日々だけではありませんでした。それはなぜだったのでしょうか。

あまり歓迎されなかったアンブーリンとヘンリー8世の結婚

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もともとはヘンリー8世を公私ともによく支え、仲も円満であったキャサリン王妃は一般の市民にも人気でした。そこへ突然颯爽とやってきた、派手な雰囲気をまとったアンブーリンでしたから、多くの国民も2人の結婚をよくは思いませんでした。悪女のような印象を与えてしまったのも、状況的にいくらか仕方がなかったのかもしれません。

エリザベス1世を出産したアンブーリン!しかし男児には恵まれず

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1533年9月7日、アンブーリンは最初の子を出産します。エリザベス1世の誕生でした。待望の子供ではあったものの、女の子だったことで男児誕生を待ち侘びたヘンリー8世は落胆しますし、両親からさえもその反応は厳しいものであったといいます。王妃という地位においては、世継ぎを生み出すことは何よりも重要なことであったのです。

娘のライバル

ヘンリー8世と前妃キャサリンとの間にはメアリーという娘が1人おり、アンと出会う前、一時ヘンリーは度重なる流産の末にやっと生まれたこの子を後継者にと考えていました。自分の子も女の子であったアンは先に生まれたその子が王位を継ぐのを恐れ、メアリーをエリザベスの侍女という下の地位へと落とし監視下におきました。

彼女こそが後に権利を回復しブラッディー・メアリーと呼ばれることになるメアリー1世でした。彼女自身がエリザベス1世を、妹とは認めるが王位は別であると反発したこともあり、ヘンリー8世とはその後アンブーリンの存命中は絶縁状態であったとされています。

アンブーリンは再び身ごもるも流産という結果に

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1536年の初め、アンブーリンは再び身ごもりますが、その子を腕に抱くことは叶いませんでした。しかもそれは待望の男の子であったとされていますから悲劇です。他でもない彼女自身の落胆はどれほどのものだったでしょう。

また初めは歓迎されたアンの話術でしたが、その聡明さと強気な性格から政治にも様々に意見したために次第に多くの敵を作ってしまったようです。「彼女にとって救世主となるはずだった存在を、彼女は流産してしまった」と歴史家たちは言いました。

ヘンリー8世に見限られたアンブーリンが迎える結末とは

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息子の誕生に執念を燃やすヘンリー8世は、失望の連続に次第に妻への思いを薄れさせてしまいます。息子を産めない自分と、離れていく夫。初めは幸せだったはずの彼女の結婚は、たったの3年で終わりに向けて急速に加速していきました。

アンブーリンの侍女ジェーン・シーモアに心移りしたヘンリー8世

ヘンリー8世はアンブーリンの侍女であったジェーン・シーモアに想いを寄せるようになっていました。ジェーンが王から送られた、互いの肖像画入りのネックレスもアンの知るところとなっていました。アンが2度目の流産をしたのは2人の関係を知ってヒステリーを起こしたからだとされています。

また、アンブーリンがヘンリー8世の膝に乗る彼女を目撃してショックを起こしたとする話もあるようです。夫とまさにかつての自分と同じ侍女との関係は、胸が張りさける思いだったことでしょう。

罪を着せられたアンブーリン!反逆罪として斬首刑に

アンブーリンは王の暗殺を図ったとして反逆、姦通、近親相姦、魔術の罪を言い渡され取り調べを受けロンドン塔に送られてしまいます。降って湧いたようなこれらの罪状は、全てヘンリー8世が彼女を排除したかったがための事実無根であったとされています。

アンブーリンはロンドン塔で剣によって首をはねられ1536年5月19日にこの世を去りました。剣によってというのは当時処刑となれば斧が主流だった当時においては稀なことで、彼女自身が懇願したとされています。

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