無実の罪で斬首刑となったアン・ブーリン|強く生きたその生涯をご紹介

ヘンリー8世とジェーン・シーモアはアンブーリンが処刑されたその翌日に婚約を発表します。現在の私達からすると血も涙も無いような印象を抱いてしまいますね。アンブーリン処刑の数日前には、アンと関係を持ったとされる5人の男性も処刑されました。その中にはなんとアンの弟ジョージの名前もありました。

息子を流産したばかりの気高いアンブーリンが、なぜ突然、実の弟を含めた多くの男性と不貞を働かなければならなかったというのでしょうか。その実、明確な証拠など何もなかったのだといいます。

アンの最後のスピーチ

Free-Photos / Pixabay

ここにアンの最後の言葉を一部紹介します。「私はここへ死するためにやってきました。私は法によって裁かれ、死を宣告されました。私はそれを受け入れます。私はここで死する運命ですが、どうか国王のために祈ることをお許しください。神が彼と共にあり、彼の世が長く続きますように。私にとって彼は善良で、紳士であった最高の夫でした。」

「私のために咎を受ける者がいたならば、その方達には最良の判決を望みます。どうか皆さん、私のために祈っていてください。神よ、御慈悲を。私の魂はあなたへと委ねましょう。」アンはその生涯に幕を下ろす最期の瞬間まで、王妃として、人としての威厳を保ち続けたのでした。

処刑後アンブーリンの幽霊が出るようになった!?

darksouls1 / Pixabay

処刑され帰らぬ人となってしまったアンブーリン。気高く散っていった彼女ですが、その後幽霊として各地に現れていると言われ始めました。一人娘を遺して逝った未練でしょうか。人々はそこで何を目撃したのでしょう。

ロンドン塔の“トレイターズ・ゲート(反逆者の門)”

ロンドン塔へと続くトレイターズ・ゲート。こちらで彼女を見かけたという情報があります。また彼女はロンドン塔の他にも幼少期を過ごしたヒーヴァー城やロンドン近郊のウィンザー城、ブリックリングホールなどと各地で目撃されていることから、イギリス1の旅する幽霊などと言われることがあるようです。

自らの首を抱えたアンブーリンの幽霊?目撃情報も多数?

19世紀終わりにも、鍵のかかったはずの教会のドアが突然開き、騎士や侍女たちを従えた首がないアンブーリンが出てくるのを見たと証言した人々がいました。世界には他にも首がない幽霊の話が数多く存在していますが、アイルランドや日本国内においては首なしライダーの話が数多く報告されています。気になる方はこちらをご覧ください。

ファッションリーダーとしても知られていたアンブーリン

1643606 / Pixabay

実はアンブーリンはファッションリーダーとしての顔を持っていました。言語や立ち居振る舞いに加え、人々を惹きつけてやまなかったそのファッションのセンスを彼女はどのようにして自分のものとしたのでしょうか。

フランスに留学したときに身につけたファッションセンス

アンは幼少期、今でいうベルギーなどにも留学しましたが、ファッションのセンスを開花させるきっかけとなったのは長いフランス留学でした。フランスの先進的なファッションをイギリスにもたらしたのはアンブーリンだったのです。

宮廷ではファッションリーダーとして名を馳せたアンブーリン

AdinaVoicu / Pixabay

イギリスに帰国して初めてダンスパーティーに現れたその時から、彼女は王だけでなく多くの男性を虜にしたようです。スタイリッシュで見事なフランスの衣服を着て踊る彼女はとても素晴らしかったと記録されています。

アンブーリンはガウンや宝石、ヘッドドレスやダチョウの羽の扇子、高価な乗馬具や家具など贅沢を好みました。彼女を真似てパールを散りばめたガウンを羽織ることは流行の最先端となり、娘のエリザベスの時代が終わるまでその流行は続いたといいます。

NEXT アンブーリンが身につけていたネックレスに隠された秘密とは?