白鳥由栄4度の脱獄歴!「昭和の脱獄王と呼ばれた男の驚きの能力と方法とは?

彼が背負っていた風呂敷包は、1人でかつげる量ではありませんでした。この頃でもまだ怪力でした。その包に怪しいものはなかったのですが、調べるうち、日本刀が一振り入っていました。調べていた巡査は泥棒を疑ぐりました。

その男がタバコが欲しいと言ったので、当時貴重だった光を、一本渡しました。すると、男は脱獄犯の白鳥だと名乗ったため、巡査は派出所に連行しまさした。あまりにも有名な白鳥だと聞いて、巡査は震えました。

模範囚として服役・仮釈放

MichaelGaida / Pixabay

タバコ1本で張り詰めていた白鳥の気持ちは崩れたと、のちに本人が語りました。厳しい刑務所暮らしで、人の優しさに脆くなったのです。白鳥の護送に警察は頭を悩ませました。東京まで、普通の犯罪者なら一般人と同じ列車で護送されます。GHQは、特別に郵便貨物での護送を認めました。

護送官は6人、6日もかかる旅でしたが、白鳥は眠らないのです。超人的な体力を思い知ったと語られています。白鳥は懲役20年と無期懲役3年でした。死刑を免れていました。白鳥は逃げることをやめました。

CodeCondo / Pixabay

府中刑務所の所長は白鳥が着くやいなや、手枷も足枷も外しました。すぐに外してしまうなら、意味がないと思ったのです。すぐに入浴させ、房には花が飾られていました。房の鍵も外されました。これで白鳥もまた脱獄する理由がなくなったと話しました。

白鳥由栄の最期

Comfreak / Pixabay

府中刑務所でおとなしく運動場所に座っている白鳥に所長が声をかけたことがありました。なぜ逃げないかと問われた白鳥は「もうつかれましたよ」と答えます。所長はこのとき白鳥の仮出獄の申請を決めたと言います。申請が叶ったのは10年後。白鳥は出所後保護師のところにいました。その後は転々と住まいを変えて日雇いの仕事をしていました。

白鳥由栄はとうとう病に倒れます。1972年2月24日三井記念病院にて、心筋梗塞のため死去しました。遺体の引き取り手はいないとされ、無縁として埋葬されることになりました。その時、仮出所している時に親しかった女性が、現れて遺体を引き取りました。享年71歳。富士山の見える墓地に眠っています。

白鳥由栄の家族

Sponchia / Pixabay

家族は探しても見つかりませんでした。とっくに絶縁状態になっていたのです。病で倒れるまでは、ドヤ街でひとり生活していました。人の暖かさを何年も忘れて過ごしてきたのです。犯罪は貧困から始まるのです。

姉と妻と子供がいる

Free-Photos / Pixabay

白鳥が結婚したのは1929年22歳の時です。1935年に逮捕されたときには子供がいましたが、その後離婚しています。3歳年上の姉もいました。二度の戦争をはさみ、誰しも生きていくの厳しい時代でした。

知り合いに当時官僚だった男がいます。人生成功するのは、塀を歩き、向こうに落ちなければいいのだと。言っていたのがいつまでも引っかかっています。要領がいいものが得をするのなら、正直に言いたいことを言う白鳥のような者には世の中は生きにくいところです。

一度会いにいくも…

vitieubao / Pixabay

青森に会いに行ったそうですが、洗濯を干している娘の姿を遠くから眺めるだけで声をかけることができなかったようです。噂によると青森には白鳥の孫がいるそうですが、詳しい情報はありません。

親族の行方は不明

Bessi / Pixabay

親族は姉と長女の2人ですが、どちらもすでに絶縁しています。白鳥が亡くなったときには遺体の引き取り手がなく、日雇い時代に隣に住んでいた少女がすでに大人になっていて、当時親切にされたからと、遺体を引き取り埋葬しました。

白鳥由栄の美学

feelphotoz / Pixabay

白鳥は脱獄を思いつくと時間をかけて用意周到に準備しました。その準備のうちに、看守への配慮もありました。自分によくしてくれた看守への恩を忘れずに、その看守が休みの日に脱獄するのです。そのとき、若い看守は1年間の減俸だけで済みました。

白鳥は刑務所の中でも素行が悪く、人としての扱いをされる以前に信じてさえもらえなかったのです。白鳥にとって人として普通に扱ってくれた、この若い刑務官は生涯胸にとどまっていました。話しかけてくれたのが嬉しかったのだと言います。

脱獄の際に人を傷つけない

Studio-Dee / Pixabay

誰かを殴ったり傷つけたりすることはなく、常に単独で実行に移していました。4度の犯行ともに単独なのは偶然ではなく彼の美学だとされています。その美学がのちに世間に知れることになり。ドラマとなり、映画になりました。

恩は忘れない

Pexels / Pixabay

白鳥は自分を人として扱ってくれた者へ恩義を感じるのです。小菅刑務所の小林警護主任の存在は、われわれ庶民の心にも温かい火を灯します。むゆ彼との再会は、白鳥も本当に救われた思いだったのでしょう。白鳥は、その後模範囚として刑期を待たずに出所しました。

脱獄は看守にとって恐怖

hjrivas / Pixabay

白鳥は看守にとってはやっかいな存在でした。看守は2人一組の監視体制ですが白鳥は24時間体制で、二組の監視をつけています。白鳥はいろいろ待遇の改善や要求をしてきます。要求が叶わないと「脱獄してやろうか」と野太い声で脅すのです。

戦時中は看守も生きるだけで精一杯の時代でした。監獄では囚人たちに三度の飯が支給され、出される量も決められています。戦時下においては、看守の方が食べるのに困窮していて、なかにはガリガリに痩せている者もいました。どちらが囚人かわからないような状況でした。

脱獄時当直だった者が罰せられる

qimono / Pixabay

減俸、配置転換、降格など、過失の度合いによって違います。その施設の長ならば、責任は重大です。また房の連帯責任も課せられます。当直の者は厳しい処分が待っています。白鳥のような脱獄常習犯に厳しくなるのはこんな理由があるのです。

NEXT 白鳥をみて脱獄を試みる者が多発