「業が深い」ってどういう意味?使う場面や成り立ちを徹底解説

周囲の評価に惑わされてはいけません。見ず知らずの人にまで自分を異様に良く見せようとする必要もないのです。見栄や虚栄心を捨て、ありのままの自分に確かな自信をもって生きることこそが大切だといえます。

欲張らない

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欲の深い人間であってはいけません。欲を出しすぎて、手元が留守になってはいけません。必要な分をしっかり手堅く守っていくことが大切です。また人と分かち合う心、譲り合う心を持つと皆が豊かになるでしょう。

他人を妬まない

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他人の境遇、成功、能力を妬んではいけません。結果もそうですが、その過程もまた重要なのです。他人を妬まず、まずは自分のために努力することが大切です。妬むことを心の習慣にすると、自分のために努力のできない人間になりかねません。

『果報は寝て待て』

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上記でも述べたように、果報とは業の対になる言葉です。果報、といえばこの「果報は寝て待て」のことわざがメジャーでしょう。このことわざの意味、また仏教との関連性について解説させて頂きます。

『果報は寝て待て』の意味

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「寝て待て」といっても、怠け、本当の意味で寝転がっていればよいというわけではありません。「運の力というものは、人の力ではどうにもできないもの。全力を尽くしたあとは、気長に待つしかない」という意味として使われます。

仏教としての『果報』

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ではこの言葉についてですが、仏教の教えとしての意味は、前世で行った結果により生じた報いのことを指します。良い行いというものは必ずどこかで報いをもたらす、という教えからきており、それは現世のみならず、来世である可能性もあります。

また前世での行いが現世に影響をもたらし、果報として返ってくることもあります。巡り巡って、人の行い(業)というものは自身に影響をもたらすのです。その形がどんなものになるのかは貴方の行動次第、ということ。これを仏教では「因果応報」と説くのです。

業を深めるなら良い行いで!

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業が深い。現在の使われ方を見ると、ネガティヴなイメージが強かった言葉ですが、元々は「行う」ことを示す言葉です。深める業は果報(その行いによって生じる報い)にするために、良い行いを心がけていくと、幸せな人生を歩めるかもしれません。

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