吉展ちゃん事件の全貌|警察がミス?死刑囚・小原保の生い立ちや自白の記録

50万円といえば、大卒新入社員の初任給が約2万円だった時代においては大金といって間違いありません。しかし、当局は本物の現金を全額用意しました。犯人を怒らせては、人質の身が危険にさらされると判断したからです。彼らの作戦は、警官を現場に配置してから、豊子さんにその金を届けさせるというものでした。

度重なる警察のミス?事件の捜査は難航した

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捜査の中で、小原を逮捕するチャンスは何度もありました。にも関わらず、解決に2年以上の期間を要してしまった理由は、警視庁の失態によるところが大きいと言われています。彼らはいったいどのようなミスを犯していたのでしょうか。

警察の合図のミスで現金50万が奪われた

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いよいよ受け渡しとなりました。犯人を確認、あるいは確保する絶好の機会です。しかし、ここで大きなミスが生じます。警官が現場に到着する前に、豊子さんが金を置いて行ってしまったのです。

これは、豊子さんの車が出発する際、警官が「まだ待て」という意味で手を挙げたのを、運転手が「行け」という意味の合図と勘違いして、準備が整う前に現場へ向かってしまったからです。慌てて現場へ走った警官たちはバラバラに到着します。全員がそろったのは、豊子さんが到着してから5分後のことです。

小原保が指定した車と別の車を見張っていた

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警官たちは受け渡し場所となった車を見張ります。しかし、誰も車に近づいてくる様子はありません。実は、警官が見張っていた車は店の正面に停まっていた車。犯人の指示した車は店の横に停めてあった車でした。間違った車を見張っていたことに気が付いたのは1時間以上後のことです。50万円はとっくになくなっていました。

用意した1万円札のナンバーを控えていなかった

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まんまと身の代金を持ち去られた上に、手がかりは何一つ得られませんでした。ここで、用意した現金のナンバーを控えておけば、犯人が金を使用した際に足が付くようにできたのですが、当局は、それを怠ってしまいます。

4月19日、脅迫電話の男の声を公開した

誘拐犯に身の代金を持ち去られるという事態が起こったのは、日本の犯罪史上でも稀なケースです。その上、以降男からの連絡は途絶え、被害者の行方もようとして知れません。相手は「金を受け取ったら、1時間後に引き渡す」と、告げていたはずなのにです。

ミスを隠すため、マスコミに知られる前に事件を解決したい警視庁でしたが、捜査は行き詰まってしまいました。4月13日、警視総監がマスコミを通じ「子どもを親元に返してやってくれ」と犯人に頭を下げて呼びかけ、19日には報道管制を解き、公開捜査に切り替えます。録音した通話の音声をラジオやテレビで流し、市民に情報提供を求めました。

吉展ちゃん事件の犯人は「40代~50代」と世間に広まった

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言語学の専門家である東北大学の鬼春人教授の助言により、当局は犯人の年齢を40代から50代と想定しました。この犯人像は報道においても取り上げられます。そのため、実際の犯人・小原保の年齢とは異なるイメージが、世間に広まったしまったと言えます。

小原保の1度目の取り調べは犯人像と合わずシロ

公開捜査の結果、1万件に及ぶ通報が市民から寄せられます。その中には小原保に関するものもありました。彼の近所に住む住人や職場の人間、身内である弟からも「声が似ている」と通報があります。当局は5月21日から3週間かけて、彼を聴取しました。しかしその結果、容疑者にはならないとして釈放します。

その理由は、まず小原が当局の推定した年齢よりも若い30歳であったこと、そして彼が足を患っており、警官の目をかいくぐって大金を持ち去るのは困難と思われたことです。

小原保の2度目の取り調べはアリバイがありシロ

その年の12月、小原に対して2度目の聴取が行われました。しかし当局は、またも彼をシロとみなします。アリバイがあったためです。3月27日から4月3日までの間、彼は故郷の福島にいたといいます。3月29日の朝と4月1日の早朝、実家近くで彼を見たという証言により、この主張は立証されたのです。

小原は当時別件で逮捕されていた

63年8月に、小原は賽銭を盗んだとして逮捕され、その執行猶予中にあった同年12月に、工事現場からカメラを盗んだとして、またも逮捕されています。誘拐事件に関する2度目の聴取は、この逮捕の時の拘留期間中に行われました。その後窃盗罪で懲役2年の刑が確定し、64年の4月に前橋刑務所に収監されました。

警察の不手際が連鎖する!「雅樹ちゃん事件」から「狭山事件」まで

誘拐事件に対するノウハウが乏しかった日本の警察は、吉展ちゃん事件の前後で起こった類似する誘拐事件でも失態を演じ、被害者の救出に失敗しています。吉展ちゃん事件の直前に起きた「雅樹ちゃん事件」、直後に起きた「狭山事件」において、どの点に当局の不手際が指摘されているのか、紹介します。

雅樹ちゃん事件とは

吉展ちゃんの事件が起こる3年前の1960年5月、世田谷区に住む鞄会社の社長の長男、尾関雅樹ちゃん(6歳)が、通っていた慶應義塾幼稚舎に登校する途中で攫われました。その後、自宅に身の代金300万円を求める電話がかかってきて事件が発覚します。

当局は秘密裏に捜査を開始します。その結果、犯人と思わしき男、山本茂久を突き止めますが、逃走され、人質ともども行方が分からなくなりました。その後、被害者は変わり果てた姿で見つかり、事件の発覚から2ヶ月後、元歯科医の山本茂久が逮捕されます。

雅樹ちゃん事件での警察の失態

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この事件も吉展ちゃんの事件同様、警察が早期解決の機会を逃した事件と言われています。また、被害者が攫われて早々に殺害された吉展ちゃんの事例とは異なり、対応の手際によっては、攫われた男の子の命を救えた可能性があることも指摘されています。

雅樹ちゃんは助け出せたはずだった

男の子が攫われた翌日、犯人宅のお手伝いから通報がありました。「被害者らしき子どもが家にいる」この情報を当局は、不確実として一蹴します。これが失態の一つ目です。山本が比較的裕福に見えたため、営利誘拐を企てるとは思えないとしたからです。

二つ目は警察の介入を山本に気付かれた点です。3回目の電話で犯人から警告され、家族は当局に手を引くよう懇願しますが、張り込みは続けられました。三つ目は、山本を捕らえ損ねて逃亡を許した件。四つ目に、逮捕後、捜査本部が盛大な打ち上げパーティーを開催した件が挙げられます。

狭山事件とは

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吉展ちゃんの事件が起こった2ヶ月後の1963年5月、埼玉県狭山市で16歳の少女が拉致され、その後身の代金20万円を要求する脅迫文が届けられます。警官による張り込みの中で身の代金の受け渡しが行われますが、犯人に気づかれて受け渡しは失敗し、逃走を許します。その後、被害者は無残な姿で見つかりました。

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