金粉ショーってどんなもの?
金粉ショーと聞いただけではどんなものなのかピンと来る方は多くはないのではないでしょうか。メジャーな催しものではないので、知らない人や見たことがない人へまずは金粉ショーについて説明したいと思います。
その名の通り全身に金粉をつけて行う
金粉とは金属の色をした顔料のことです。その粉を体全体に塗りたくり、金色になった全身を使ってダンスやパフォーマンスを行います。金色に輝く姿は芸術的であり、とても幻想的なものでもあります。
肉体美が生み出す華麗な演武
素肌に塗られた金粉はその体の一部一部のパーツを輝かしく見せてくれます。鍛え造り上げられた肉体を使ってダンスやアクロバティックであったり、時には炎を使った演武を見せて楽しませてくれるのです。
間近で楽しめ投げ銭も出来る
金粉ショーはお客側との距離感も近く、迫力ある姿が見られます。投げ銭入れを持ったパフォーマーが歩いてくるのでショーを楽しんだ方はぜひ入れてみましょう。投げ銭とは大道芸やストリートで音楽を披露している人たちへお礼や賞賛の気持ちから小銭などを投げ入れることで、紙に包んだ渡すものはおひねりと呼ばれることもあります。
幻想的でエロスな金粉ショー
金粉をあしらったもの珍しいパフォーマンスですが、金粉ショーはその奇抜な見た目をだけを楽しむものではありません。大胆さや艶めかしさ、様々な楽しみ方があります。昼間のショーもいいですが、夜も独特の雰囲気を楽しむことができます。
夜はライトアップで幻想的になる
昼間とは違い、夜はその金色の全身にスポットライトをあてることでより一層煌びやかな雰囲気が漂います。肉体の陰影に金色がよく映え、別世界のような幻想的なパフォーマンスを見ることができます。
女性の踊り手さんがセクシー
これは男性視点でのセクシーという意味合いですが、金粉ショーに出演される女性は男性同様にほぼ裸の状態で金粉が塗られています。もちろん体の曲線などもわかりやすく、とても妖艶な姿をしていますので、とくに男性陣に人気の高いショーとなっています。
大須大道町人祭の金粉ショーが有名
金粉ショーの中でもとくに有名なのが大須大道町人祭です。大須観音を舞台に、火を操ったり踊りを披露したりと大賑わいとなる金粉ショー。毎年多くの地元民や観光客が来場し賑わいを見せています。
名古屋市で行われる大道芸のお祭り
名古屋市にある大須商店街一帯を使って毎年10月の中旬頃の土日と2日間開催され、前日の金曜日には前夜祭も行われるなど大きな賑わいを見せています。その昔、名古屋一と言われた盛り場であった大須は戦後活気を無くしていったのですが、昭和53年にその活気を取り戻そうと名古屋まつりに対抗して開催されたのが大道町人祭の始まりです。
「街は人にとって生活ドラマの舞台である」をコンセプトとし、町人による手作りよって大道芸を中心に行われました。猿回しや小屋掛け、バナナのたたき売りや人間ポンプなど今では滅多に見ることができない催しがありました。
花魁道中がシンボル
このお祭りでは大道芸だけではなく花魁を楽しむこともできます。明治時代に大須に作られた遊郭により大きな繁華街として栄えた歴史を表現しています。花魁は一般公募で選ばれた女性陣が商店街を練り歩きます。
金粉ショーが人気
このお祭りでの金粉ショーは日に3回披露され、日中は路上や広場を使って間近で楽しむことができます。夜は大須観音前でライトアップなどシチュエーションを変えたショーを見ることができます。昼夜で雰囲気がまったく違うので、ぜひどちらのショーも見ていただきたいです。
他にもいろんな大道芸が見られる
もちろん金粉ショーや花魁だけではなく、様々な大道芸も楽しむことができます。アクロバットや津軽三味線など、普段は目の前で見る機会がなかなかないものもあります。気になる演目については事前にHPをチェックしてから来場しましょう。
金粉ショーは他にどこで見ることができるの?
金粉ショーに興味を持ったけど、名古屋は遠くて行きにくいなんて人もいますよね。大丈夫です。ショーがあるのは名古屋だけではありません。他にこのショーを見られる場所をピックアップしたのでご覧ください。
野毛大道芸
神奈川県横浜市中区野毛町で4月に開催される大道芸のお祭りです。町おこしとして始まったこのお祭りでは国内外のパフォーマーが集まりパントマイムやアクロバティックなショーを楽しめます。屋台なども多く出店されているので食べ歩きを楽しむこともできます。
高円寺びっくり大道芸
東京都杉並区高円寺の駅前広場や公園、商店街を使って開催されます。毎年4月の下旬頃に行われるこのお祭りでは大道芸のみならず、楽器演奏やコメディなどもあります。来場者参加型のイベントも有り、ジャグリング体験やフェイスペイントをしてもらうこともできます。
集まれ!池袋みんなの大道芸
東京都豊島区西池袋にある東京芸術劇場にて開催されています。ゴールデンウィーク期間中の3日間を使って行われ、コメディやサーカスアクト、地上をいっぱいに使ったチョークアートなどもみることができます。
金粉ショーを行う舞踏集団!大駱駝艦(だいらくだかん)
海外でも注目を集めるパフォーマンスショーを行ってきた大駱駝艦。過去6回と舞踏批評家協会賞を受賞してきた実力ある舞踏集団の歴史について紹介したい。そして新たな舞踏に興味を持っていただきたいと思う。
麿赤兒氏が率いる舞踊カンパニー
麿赤兒(まろ あかじ)を中心に1972年に結成され、アメリカのダンスフェスティバルに出演し舞踏への関心を高めるなど幅広く活躍しています。天賦典式(この世に生まれいったことこそおおいなる才能とす)と名付けた様式で多くの作品を生み出している舞踏集団です。
『ゴールデンズ』と呼ばれている
様々な演目を行う中でとくに注目を浴びたのが、「ゴールデンズ」である。男女混合の数名ずつで編成され、ほぼ裸の状態で体全身に金粉を塗り踊る様は特異的であり、各地で公演を行う人気ぶりです。
金粉ショー以外にも様々な公演をしている
独特の世界観から生まれる舞台は金粉ショーだけではない。2016年までに42もの演目を行ってきている。代表作として「Dance桃杏マシン」「陽物神譚」「皇大睾丸」「男肉物語」「海印の馬」などがあげられる。
金粉ショーを行う舞踏集団!ささらほうさら
他にも金粉ショーを行う集団がいるが、そのひとつがこちら。”ささらほうさら”とは、静岡県の山間部や長野、山梨、埼玉県の一部で使われる方言で”しっちゃかめっちゃか、荒れ放題、そのような駄目人間”という意味合いがある。
団員2名で旗揚げ
もともとは大駱駝艦の中から若手の女性ユニットとして1993年に安田理英、加藤知子の2名で立ち上げられた舞踏集団。こちらも独特の世界観を表現する舞台を行っているので興味のある方は日程などを調べて観劇に出向いてみてください。
特定の団員を作らない
ささらほうさらは特定のメンバーで結成するチームではなく、作品やイベント毎に出演者を募ってその都度新しいメンバー構成で演出しています。新しいメンバーでもチームワークの揃った舞台は圧巻です。
金粉ショーの踊り手は素顔も素敵
ショーの中では金粉で塗り固められ、顔も金や白塗りになることで出演者の素顔はよくわからないことが多いです。どんな人たちがショーを披露しているのか気になってしまいますよね。今回はその中から数名をピックアップしたので紹介させていただきたいと思います。
大駱駝艦『坂詰健太』
1995年2月20日生まれ。身長168cm、体重54kg。大駱駝艦の中では若手と言えるでしょう。金粉ショーのゴールデンズのメンバーで金塗り白塗りの演出を行っています。舞台以外にもNHKの大河ドラマ「真田丸」などに出演していました。
大駱駝艦『藤本梓』
1981年10月16日生まれ。身長158cm。舞台を中心に活動している女優、タレントです。テレビドラマなどに出演していることもあります。過去にはNMB48の紅組PVに出演するなどマルチに活躍しています。
大駱駝艦『谷口舞』
1990年11月2日生まれ。身長などの情報は公開されていません。大駱駝艦ではショーに出演するだけではなく、音響としてショーに関わるなど幅広く活躍しています。SNSなどの発信も多めなので気になる人はぜひチェックしてみてください。
金粉ショーの歴史
そもそも金粉ショーの発端とはなんだったのか?こんなにも独特なパフォーマンスが行われるようになった歴史について掘り下げていきたいと思います。まずは驚きの宗教行事だったという点から紹介していきたいと思います。
元はインカ帝国の宗教行事だった
インカ帝国とは南アメリカを中心にケチュア族が築いた土地です。文字の文明を持たないこの一族の宗教行事として行われていたと言われています。インカ帝国では太陽信仰が強かったため、その金色の姿を太陽と捉えていたのかもしれません。
世界にはたくさんの宗教が存在しています。日本ではあまり馴染みの少ない宗教ですが、こんな一風変わったものまであります。もしかしたら興味を持ってしまうかも。そんな宗教はこちらをどうぞ。
日本で最初に行ったのは藤田繁と言われている
もともとは日本由来ではなかった金粉ショーですが、それをいち早く取り入れ日本に広めたのは藤田繁と言われています。藤田繁は歌手の尾崎紀世彦の父でありバレエダンサーとして活躍していた表現者でした。新しいものを見いだす洞察力は人一倍だったのかもしれません。
キャバレーで上演されていた
昭和40~50年代頃に”暗黒舞踏”の設立者であった土方巽(ひじかた たつみ)がキャバレーに派遣した弟子に金粉ショーの演目をやらせていました。そうして目にする人が増えたことで金粉ショーの名前は徐々に広まりました。
福島県で火事騒ぎになった
土方巽の弟子らで作られた舞踏集団が昭和44年に福島県の盤光ホテルで金粉ショーを披露する際に、演出で使用した火元が原因で火災事故が発生しています。火を扱うショーは迫力があり人気がありますが、危険も伴っているのです。