【西口彰】事件の概要の判決、犯人の生い立ちとは?家族・被害者の現在も

父親の事業の変遷

1936年、西口11歳の頃、父親は漁業から撤退、果樹園の経営に移ります。その後は体調悪化に伴い1941年、西口16歳の時に大分県別府市の温泉旅館経営を開始しました。旅館経営も軌道に乗っていたのか、常に経営者であった父親が多忙ではあったものの、お金にはさほど困らなかったのではないかと推測されます。

中学生頃から道を外し始め、犯罪を繰り返す日々

カトリックであった西口は、中学からは親に望まれるまま福岡県のミッションスクールへと入学し寮生活に入ります。しかしカトリックの寮生活は、非常に戒律が厳しいものでした。それにストレスを感じた西口は中学3年の2学期に中退し、家出をして行方をくらましました。

その後は16歳にして詐欺、窃盗等を繰り返し、何度か保護処分となるも、最終的に山口県岩国市の少年刑務所に入ることとなりました。そこを出てからもまた詐欺や窃盗を重ね、出所と服役の繰り返しだったと言います。

20歳の時に結婚、3人の子供にも恵まれる

そんな西口も終戦直後の1946年、20歳の頃に結婚します。翌年に長男、その4年後に長女が生まれ、計3人の子供に恵まれました。しかし彼は、そんなさなかにも犯罪を繰り返しました。長男1歳の時に恐喝罪、長女が生まれた年にアメリカドルの不法所持、その翌年には進駐軍になりすまし、詐欺罪で逮捕されています。

逮捕後はもちろん数年の服役が待っており、妻子と過ごすことは出来ません。そのため、何度も罪を犯し刑務所にばかり入っていた西口は、服役中に一度妻と協議離婚しました。しかしカトリックでは離婚はご法度。信仰の厚かった西口は、その後再婚を果たしています。

西口彰の事件の犯行動機とは?

5人もの命を奪い多くの詐欺や窃盗を働いた西口ですが、ではその動機は一体何だったのでしょうか。ここが彼の一番不可解な点ですが、本人曰く動機は「借金を返すためと、愛人の歓心を買うため」だったと言います。このような一見単純な動機で人を5人も殺すだろうかと、警官や西口を知る人々は皆首を傾げました。

事件背景から見る西口彰の事件の犯罪動機の真相考察

西口の犯行動機は非常に薄く、到底世間を納得させるものではありませんでした。彼の本当の動機とはどのようなものなのか、ここでは彼の生い立ち、背景から、またその内面を想像し、動機の真相を考察してみたいと思います。

戦争に翻弄された西口家

西口の父親は、地元では力のある人物でした。しかし時は戦時。その影響により、カトリックであった父親は世間から迫害されていた可能性があります。また、父が営んでいた漁業はその燃料をどうしても輸入に頼らざるを得ず、しかも大型船は徴用を受け戦争へ赴かねばならなかったため、漁は当然満足に出来なくなります。

その影響で父親は漁業を諦め、果樹園に切り替えたのではないでしょうか。国、戦争、軍という権力に自信を曲げるしかなかった父の姿を見て、幼い西口は権力へのコンプレックスを抱えたと考えられます。

コンプレックスが生んだ歪んだ感情

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また、ミッションスクールでもその厳しさに耐え切れず中退という自身の弱さを痛感し、自信を喪失したのではないかと考えられます。ここで思い出してほしいのが、西口が自身を弁護士など、地位のある者と詐称していた点です。

権力に屈した父の姿、他の人間が当たり前のように出来ている寮生活をリタイアしてしまったという挫折、それらが彼の自信や自己肯定感を低下させてしまっていたのだとしたら、自分を強く見せるため権力の象徴であるエリートになりきり、人を騙し殺めることで失った自信を埋めようとしていたのかもしれません。

西口彰の意外なエピソード

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西口は5人をも殺害した凶悪な犯罪者です。しかしその一方で、人のために必死になるという熱い一面も持ち合わせていました。ここではそんなエピソードをご紹介します。西口という人物の多面性、その深さをご覧いただきたいと思います。

西口彰のエピソード①ぐれた息子に20枚以上の手紙を書き更生させた

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西口が死刑判決を受けた後、長男は父親が凶悪な犯罪者だと知るとぐれて、学校にも通わなくなってしまいました。それを耳にした西口は「俺のような人間になるな」と獄中から20枚以上の手紙を書きました。それを読んだ長男は考えを改め更生。それを知った西口は非常に喜んだと言います。

自身も学校を中退したことから全てが狂ってしまった西口。犯罪者でありながら、子供に同じ道を歩ませまいと必死になる姿には、一瞬人殺しだということさえ忘れてしまいます。彼の特殊さは、この人間味のある人格にあると言えます。

西口彰のエピソード②死刑前にはボランティア活動

西口は死刑前、獄中で点字を翻訳するボランティアに従事していました。文通相手の女子大生からの依頼で、卒業論文に使う哲学書を点字に訳したのです。その量は膨大で、一日中作業をする日が6ヶ月も続きましたが、西口はそれをやり遂げました。

その後手記には「誰かのために本気で仕事をしたのは初めてだった」と記されています。また、この哲学書は他大学の男子学生も使用し、その卒業論文に一役買っています。獄中から人の役に立つため、過酷な作業を続けた西口。殺人を犯した人物にしては非常に意外に感じられます。

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