【西口彰】事件の概要の判決、犯人の生い立ちとは?家族・被害者の現在も

西口彰とは、西口彰事件の犯人です。詐欺で多くの人をだまし、5人もの人間を殺害した凶悪犯。しかし、彼には子供や妻を心配したり人の役に立とうという意外な一面もあったのです。西口彰について、事件の概要、判決、西口彰や家族、被害者のその後などを紹介します。

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オカルトを愛して30年。特に怪談、呪術、未解決事件が好きです。情報の詰まった記事を心がけています。

西口彰とは?

西口彰(にしぐちあきら)、という犯罪者をご存知ですか?彼は安易な動機で5人もを殺害、その他にも罪を重ね幾度も刑務所へ入り、最終的に死刑になっています。その犯行もさることながら、彼の人柄、逮捕のきっかけ、逮捕後のエピソードは非常に興味深いものがあります。

戦後の犯罪史に名を残す連続殺人犯

1925年、大正14年に大阪のカトリックの家に生まれた西口は、16歳の頃から数々の犯罪に手を染め続けました。38歳になった1963年には5人の人間を殺害、約80万円を騙し取り、最終的にはひとりの少女がきっかけで逮捕に至りました。1970年、44歳の時に死刑が執行されています。

 西口彰事件は5人を殺害した凶悪事件。その概要

西口は多くの犯罪に手を染めましたが、その中でも1963年に起こした連続殺害事件を「西口彰事件」と呼びます。では、それは一体どのようなものだったのでしょうか。ほんの数ヶ月の間に5人もの人間を殺害した、その概要をご説明したいと思います。

1963年10月、西口彰は福岡県で2人殺害し逃走

まず、1963年10月18日。ここが全ての始まりでした。西口は福岡県にて、集金に回っていた専売公社(現在のJT)の職員2名を殺害します。一人目の被害者、Mさんの集金に同行し、車が山道に差し掛かったところでキリによりMさんを殺害。動機は金品の奪取でした。

そしてその場所からおよそ2km離れた場所で、同じく集金中だったGさんを手ぬぐいで絞殺。その後、集金の中から27万円を盗んでいます。警察は目撃証言と指紋、そして西口宅から血の付いた衣類が見つかったことから彼を指名手配。しかし自宅、愛人宅を捜索した結果、西口は逃亡した後でした。

周到に用意された初めての殺人

この強盗殺人計画は前日に計画されたもので、本来同行の必要ないMさんの集金に付いていく、凶器を持参するなど用意周到なものでした。西口は未成年の頃から多くの犯罪を繰り返しましたが、人を殺したのはこれが初めてでした。ここから、数ヶ月に及ぶ逃亡生活が始まります。

11月、逃走先の静岡県浜松市で2人殺害しまたもや逃走

2人を殺害後、西口は競艇レースへ来ていました。その最中、新聞で自分が指名手配されていると知り逃亡。警察と妻に手紙を書き狂言自殺を企てます。その隙に中国地方と関西を経由し中部地方へ移動、10月に静岡県浜松市の貸し席へ辿り着きました。

ここでは自らを大学教授だと名乗り、女将のYさんと仲を深め、肉体関係を結びました。そして11月19日、この女将Yさんと、その母Hさんを絞殺。金品を盗み質に入れ、21万円を手にしています。二度目の強盗殺人でした。

12月、東京都豊島区で弁護士を殺害し逃走

12月、西口は関東、東北、北海道などを転々としながら、詐欺を繰り返し金を手に入れていました。その数およそ7件。そして12月後半、東京に到着した彼は、年の暮れの12月29日に弁護士のKさんを絞殺。東京地裁で知り合い仕事を依頼し、そのまま被害者のアパートに同行し犯行に及ぶと言う大胆さでした。

またこの際、被害者から腕時計、そして弁護士バッジを奪っています。この後も自身を弁護士と騙り信用させ、犯行に及ぶための下準備でした。そしてその後も殺害された弁護士の家へ行き、依頼人が持ってきた金を受け取り逃走しました。

翌年1月、熊本県で少女の機転により逮捕

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翌年の1月、西口は熊本県の立願寺という寺院を訪れます。そして住職の古川泰龍(ふるかわたいりゅう)氏に弁護士だと名乗り、古川氏が支援していた「福岡事件」の再審請求に自身も協力したいと申し出ました。それに感激した古川氏は西口を家に入れ熱心に語り合い、その夜、彼を家に泊めたのです。

しかし、古川氏の長女で当時11歳だったるり子さんが母親に「あの男は指名手配犯にそっくりよ」と訴えたことから事態は急転します。るり子さんはクラスメイトに「西口彰」と一字違いの児童がいたため、指名手配のポスターを毎日通学途中にじっくりと眺めていたのです。

最後まで堂々としていた西口

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古川氏は初めは「お客様にそんなことを言うな」と叱りましたが、母親がポスターを確認したところ特徴が酷似しており、古川氏も、そういえば西口の話に辻褄が合わない点があったと思い至ります。そして翌明け方に母親が警察に通報します。

駆け付けた警官に西口は「自分は弁護士だ」と堂々と接したため場は困惑しましたが、指紋を採取したところ完全に一致したため、逮捕に至りました。10月中旬から始まった西口の逃走劇は、ひとりの少女の直感によって幕を下ろしたのです。

 西口彰の裁判の判決は?

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多くの詐欺や盗み、そして5件の殺人を犯した西口はついに御用となり、裁判にかけられました。飄々と逃げ続けた彼は、どのように起訴され、どのような判決が下ったのでしょうか。西口を的確に形容した言葉と共にご紹介します。

1966年に死刑確定

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