暴走族の人数が最も増加したのは1980年代です。1982年には最大で4万2510人を記録していました。しかしながら、1978年に道路交通法に新規定が追加され、また暴走族の取り締まりも段々と強化がされ始めたりしたことにより、その後は減少を続けていきます。
少年たちの憧れの存在だった
当時の暴走族は既存の観念を打ち破る斬新なファッションや言動を行い、未成年の少年らにとってはかっこよく憧れの対象でした。そういったこともあって、未成年の暴走族参加者が非常に多かったそうです。
現在では全国で5000人に減少
そんな栄華を誇った暴走族たちも、取り締まりの強化、少子化などの原因により段々と数を減らしていきます。今日ではもう全国でも5000人程度しかおらず、1グループの構成人数も最盛期の3分の1ほどにまで減少してしまっています。
玉井さんはバンド活動もしていた?
玉井さんに関するさまざまな噂の中には、「彼はバンドを組んで音楽をやっていたことがある」という話までありました。果たしてこの噂は本当なのか、いったいどこから誕生した噂なのかを解説していきます。
玉井さんは暴走族一筋
そもそも玉井さんはバイクをこよなく愛する男であり、バイクに情熱を注ぎ暴走族一筋で生き続けてきました。言ってしまえば音楽とは無縁の生活を送っていました。では何故バンド活動などという噂が立ったのでしょうか。その原因にはまたもやニコニコ動画が関わっていました。
MAD動画から発生したデマ
MAD動画のうちの1つに、バンドの映像を編集して玉井さんの台詞を入れた動画があります。バンドの映像は彼とは無関係のものですが、クオリティが非常に高く「バンドを組んで音楽をやっている」とあまりよく知らない人が勘違いを起こしてしまったことがバンド活動説の発端でした。
そのバンド動画はとてもクオリティの高い動画であったため、ニコニコ動画には楽曲を実際に演奏してみたり、台詞も含めて歌ってみたりした動画まで登場していきました。勘違いを起こしてしまうのも仕方がないのかもしれませんね。
玉井さんが乗っていたバイクは?
暴走族の象徴とも言うべきバイク。今でも玉井さんと思わしき男性がバイクの雑誌に掲載されていたという情報があったように、彼はバイクに大きく情熱を注ぐ男であるのが分かります。暴走族時代の彼の愛車についてより詳しく見ていきましょう。
玉井さんの愛車「紫キャベツ号」
玉井さんが暴走族だった時代の相棒は、その名も「紫キャベツ号」。名前の由来は紫色のペイントに白色のラインが紫キャベツにそっくりだったからです。バイクに情熱を注ぐ彼は暴走族を引退した今となっても、この紫キャベツ号を保有しているそうです。
現在でも人気のあるホンダのCBX400F
紫キャベツ号の素体として使われたのはホンダのCBX400Fです。1981年から1983年にかけて製造されたバイクで、1984年に一度販売が終了するもマニアの人たちによる強い希望によって再販がされるなど人気の高い車種です。販売が終了した今においてもCBX400Fを求めるマニアが少なくありません。
CBX400Fの特徴は4ストローク4気筒エンジンを搭載しているロードスポーツモデルだということです。400ccクラスとしては、1977年に生産が中止されたドリームCB400FOURという車種以来となる4気筒エンジンを搭載しています。
玉井さんは昔も今もみんなの憧れ
バイクを愛し、義理堅く、漢気のあふれる孤高のリーダー玉井さん。その漢らしい姿は今も昔も多くの人を魅了し続けていました。彼はもしかしたら今もどこかで、愛する自慢のバイクに跨って街を走り抜けているのかもしれません。