小松博文の動機が身勝手!妻子6人殺人事件の真相と人物像・裁判のまとめ

近所で仲良く家族で歩く様子も見受けられていました。また、たびたび恵さんの実家に帰り、近くの空き地でボール遊びをする仲良しな親子姿も目撃されています。しかし一方では夫婦喧嘩が絶えず、結婚生活は決して順調ではなかったようです。

小松博文は定職に就かずパチンコばかり

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小松博文は事件当時、日立市内の自動車関連会社に勤務していました。しかし、9月の下旬ごろ「妻の体調が悪いのでしばらく会社を休みます」という趣旨のメモを残し、そのまま出社していなかった様子。仕事をせず趣味のパチンコに通う日々だったという。

パチンコで勝てばそのお金を生活費に回しやりくりをし、負ければ借金をしてまで通い続ける生活。一部の情報では夫婦揃って出かける事もあったようです。働かずに遊びまわる姿は子供に見せられたものではありません。

小松博文の妻・恵さんはダブルワークで家計を支えるしっかり者

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一方、小松恵さんは病院の事務の仕事をしていました。一家の大黒柱であるはずの小松博文がなかなか仕事が続かない為、家計を支える強くたくましい母親でした。また夜は飲食店でアルバイトをしており、家族の為に仕事を掛け持ちし懸命に働いていました。仕事に家事に育児に奮闘し、一人で一家7人を養っていくのは並大抵の事ではありません。

小松博文はDVを振るっていた

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小松恵さんの友人は、恵さんが「夫から暴力を受けている」と不満を漏らしていたと証言しています。周辺住民には夫婦で喧嘩をしている声も度々聞かれていたようで、周りからは分かれを勧められる事もあったようです。仕事が続かない、思うように歩めない人生に苛立ちを感じ、それがDVに繋がったのかもしれません。

小松がどのような心境であれ暴力は許されない事です。働かない夫の趣味の為に懸命に稼いだお金を取られ、暴力まで振るわれる、恵さんの心境は到底計り知れません。愛想をつかされるのも仕方がないでしょう。

小松博文はなぜ仕事が続かなかったのか

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小松博文が職を転々としていたのはなぜでしょうか。自身の性格ゆえの行動があったはずです。ここでは小松がどのような仕事を渡り歩いてきたのか、なぜ毎回退職する事になるのか、小松の手記から職歴を元にをまとめてみました。

無免許運転で逮捕されていた

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小松博文は恵さんと知り合った頃は千葉に住んでいました。茨城に住む恵さんとは遠距離恋愛をしており、千葉と茨城を行き来する生活でした。長男の幸虎(たから)くんが誕生後、小松は無免許運転で逮捕され、在宅起訴となります。

その後刑務所に収監され、一時職を失います。4ヵ月後に仮出所した際、水道工事の仕事を始めました。しかし運転免許が無い為収入は一日七千円と十分ではありませんでした。結果夫婦での話し合いの末退職しています。

パチンコに通いながら建設現場で働く

まだ未入籍だった二人は、友人に借金をしたり、母子手当や児童手当に頼りながらやりくりをします。その間もパチンコに通い、勝つと生活費に充てる生活を半年間続け、やっと建設現場の仕事を紹介してもらえます。そんな中、次男の龍煌(りゅあ)くんが誕生するのです。

同居が発覚し母子手当が停止される

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喧嘩が絶えなかったが生活は出来ていたころ、三男、四男の双子を授かり、小松は新聞配達のアルバイトを始めます。早朝の仕事、昼の仕事と奮闘し月収は30万円になったそうです。この頃は「何とかやっていける」と希望がさしていたようです。そして双子の誕生後も福島第一原発で働くなど真面目に勤務していました。

しかしこの頃恵さんとの同居が発覚し母子手当がなくなってしまいます。そもそも母子手当はひとり親を助ける制度です。ここでも嘘をついて騙し取っていたことになります。子供たちがこの事実を知ったらどのように思うかと呆れるばかりです。

免許を取り直し運送会社で働く

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その後小松は免許を取り直し中古車を購入し、ひたちなか市の運送会社に就職するのです。勤務して半年経った頃、所長から「大型と牽引の免許を取り、トレーラーに乗ってみないか」と打診されたのです。すぐに快諾したのですが、免許を取るには経験年数が足りない事に気付きます。

しかし昔から言い辛い事を言えず、現実から逃げてしまう性格がここでもたたります。正直に謝り、事情を説明すれば良かったものの小松は所長からの連絡に答えなくなってしまいます。結局所長から妻に連絡が入り、退職する事になるのです。

小松博文はなぜ子供まで殺害したのか

なぜ小松博文は幼い子供たちまで殺害したのでしょうか。情状酌量を狙っての発言なのか、子供を大切に思う本心なのか。それでも未来ある子供たちを犠牲にした事実は小松の身勝手さが伺えます。そんな子供たちを巻き添えにした理由とは?便箋87枚にも及ぶ小松の手記をもとに解説します。

小松博文は「子供だけ残ったらかわいそう」と供述

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小松博文は子供にまで殺害したことについて「自分も死ぬつもりだった。親がいなくなり、この世界に子供だけ残ったらかわいそうだと思った。」という趣旨の供述をしています。随分身勝手な言い分だが、母親がいなくなった子供の将来を悲観し、子供の命まで奪ってしまったのです。

小松博文は家族を誰にも取られたくない一心で犯行に及んだか

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小松にとってはあのアパートに妻と子供たちの全てであった。恵さんとの関係が破綻する事によって家族との繋がりがなくなってしまう。幸せな生活がなくなる恐れ、自分の大切な人が奪われてしまう悲しみ、天涯孤独になってしまう怖さが小松を救いようもない狂気を駆り立てたのだろう。

後に「なぜ子供たちにまで手をかけてしまったのか」という言葉を漏らしています。絶望的な心境の中、「全てをなくし、自分も死のう」との思いで犯行に及んだが、自身は生き延び後悔だけが残りました。

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