リクビダートルはほぼ全員1年以内に死亡
リクビダートル達のうち4,000人以上が、放射線が原因のがんで死亡しました。更に70,000人が、被曝による身体障害を負っていると言われてます。特に石棺建設に携わった人たちは、全員が1年以内に死亡しました。
リクビダートルには退役軍人としての地位が与えられた
リクビダートルは、当時の連邦政府から表彰され、退役軍人としての地位が与えられました。即ち、危険な労働の代償として、住居や高額の年金に無料の医療などが生涯保障されたのです。
生き残ったリクビダートルを追った写真集も
2018年4月に、ある心動かされた英国の写真家が、ウクライナの都市スラヴィティチを訪れ、現在は老後を過ごしているリクビダ-トルの生き残りたちを写真に収めました。そして、そのポートレートの数々は、「リクビダートルたち」という忘れがたい作品となりました。
見たら死ぬ「象の足」を撮影した人たちの現在
このように近づいたら非常に危険な「像の足」ですが、それでも、この悲劇を二度と繰り返さないという教訓を後世に伝えねばという使命感から、決死の覚悟でその撮影に挑んだ二人のカメラマンを紹介します。
「見たら即死?」というタイトル表現は、「物の例え」でやや極端かと思いますが、彼らの内一人はすぐ他界し、もう一人も生存するも極度の障害を患っていることをみれば、的を射た表現と思えます。
象の足撮影者①ウラジミール・シュフチェンコ
「チェルノブイリ・クライシス: 史上最悪の原発事故」というドキュメンタリー映画を撮った監督です。彼は撮影中に「急性放射線障害」で他界しました。又一緒に撮影していた作業スタッフ2名も、同じ障害で亡くなってしまったそうです。
象の足撮影者②セルゲイ・コシュロフ
彼は、事故後3年経過して撮影を開始しました、一時退避都市スラブチチに住みながら、毎週事故現場に通い続けています。僅か二秒で、規定の被ばく量を超えてしまう原子炉建屋内に入り、写真や動画を撮影し続けています。
しかし今では多くの障害に蝕まれボロボロの体になってしまったとのことです。
「象の足」のあるチェルノブイリの現在
事故後、「死の街」と呼ばれたチェルノブイリも、30年が経ちましたが、現在は一体どうなっているのでしょうか?2010年12月より、ウクライナ政府は正式に、それまで立ち入り禁止としていた、原子力発電所付近への立ち入りを許可しました。