三里塚闘争が起こった時代背景と原因とは?成田空港建設で支払った代償

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成田空港リニューアル

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成田空港のリニューアル工事が完了し、2017年11月10日にリニューアルオープンしました。新しくなった成田空港は東京オリンピックで多くの旅行者を出迎えます。より明るく美しくなった成田空港を見て見ましょう。

 JALのファーストクラスラウンジが明るい

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これが空港のラウンジかと思うほど素敵です。場所は前回のラウンジの上にあった上の階になっております。和食ラウンジと洋食ラウンジに分かれています。メニューがあるんです。メニュー表を見て皆さん迷ってしまいます。本格的なお寿司屋さんもできました。

またトイレが二箇所になり個室が広くて綺麗です。靴磨きのサービスコーナーができました2名体制ですので比較的混み方は少ないと思います。マッサージのサービスが無くなりました。照明がLEDに変わっています。

成田空港は地元と共に歩んでいます

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周辺の農家と協力して、JALは2018年5月から農業にも参入しています。直売所や体験型農園、バーベキュー施設など地元の農家と協力をすることになりました。JALはこれまでの成田空港の歩の頃から地元に貢献意識が強く雇用しているスタッフも千葉県のスタッフが50%もいます。

2018年は開港40周年にあたり成田チョコクランチなど記念グッズが販売されています。今後は国内線にも力を入れエルシーシー専用ターミナルはこれまでの2倍に広げる予定です2022年の完成を目指しています。2020年に向けて第一第二ターミナルもリニューアルしてます。駐車場もスペースを広げました。

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3番目のC滑走路の建設とB滑走路の延長は2022年まで待たれます。これにより大幅に航空機の発着に運用できます。これで成田闘争が終結したことになれば良いのですがこれ以上の騒ぎが起きないことを祈ります。

現在の三里塚と成田周辺

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農地を買い取り国際空港を建設した成田周辺の現在とそこに今も暮らしている人がいます。熱い時代が過ぎた今、村はどのように様変わりしたのでしょうか、頭上を飛行機が飛び交う轟音とともに生きる三里塚と成田の今をお伝えいたします。

三里塚で今も農業を続ける

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成田空港にはまだ2.9haの未買収の土地があり、そこには2軒の農家があります。三里塚北原同盟に所属しています。畑では約50種の野菜をつくり、今は夏野菜のシーズンで忙しいと言います。この農地がB滑走路の誘導路が屈折する原因になっています。成田空港周辺には騒音防止地区があります。生まれた時からこの地区に暮らす人がいます。

騒音防止地区に暮らす

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昔を知る農家は1軒だけになりました。兼業農家です。昔は70世帯300人が暮らしていました。現在は7世帯26人(2018年)です。新滑走路が完成すると、騒音防止地区の住民は1000世帯に広がります。たしかにあの騒音の下に一日中暮らすのは厳しいと感じます。

三里塚闘争~多くの犠牲を払った成田空港建設~

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成田空港は美しく清潔感があると世界でも評判のいい空港です。過去に過激な闘争があったとは、その時代に居合わせた者でも、もはや信じられません。国家が必要とした空港ですが、農民たちにしたら自分たちの生活のどこにも関わりが見出せないのです。自分たちに関係ないものの建設のために、苦労して育てた土地を追われるのです。

あり得ない事です。ひとえに初期段階での説明不足であったと悔やまれます。今はこの経験を生かして、国家の政策には充分に話し合いを重ねて理解を求めているようです。沖縄の基地問題や、原発の問題など、解決の糸口が見出せることを願ってやみません。成田は今、近代的な美しい空港に変貌を遂げようとしています。

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