上尾事件とは?国鉄と乗客の間で起きた大暴動の背景とその後に迫る

他の脱線事故に関する記事はこちらから

下山事件

Goumbik / Pixabay

下山事件は1949年に起こった事件でいまだにミステリーとして話題にのぼります。事件当時日本は連合国の占領下にありました。7月5日の朝のことです当時の国鉄総裁下山定則が出勤途中にいなくなってしまいます。翌朝礫死体となって発見されたのです。この事件は他殺、自殺、陰謀などいろいろな人が推理したくさんの節が生まれています。

警視庁は捜査結果を公式発表することなくこの事件を打ち切りにしました。下山事件は多くの人の興味を引き本が次々と出版されています中でも松本清張の本、「日本の黒い霧」は話題となりました。真実はまだわかっていません。 この朝の下山の行動は普段とは全く違うものでした。朝開店前の日本橋の三越に行きました。

cocoparisienne / Pixabay

そこから運転手の証言でいくつかの場所に立ち寄り最終的に三越に戻ります。三越の店内に小走りで走って入るのが運転手が見た最後の姿です。9時37分でしたそれから銀座線の浅草行き車内で目撃されその後五反田駅の改札で駅員と話をしています。その後末広旅館にて滞在します。当日最後に、東武伊勢崎線で目撃情報があります。

下山事件の詳しい情報はこちらから

松川事件

nonain / Pixabay

松川事件は1949年に起きた事件です。青森発上野行きの列車が店谷川駅と松川駅の間で脱線転覆した事件です。8月17日の午後3時過ぎにカーブに差し掛かる手前で12両の列車が脱線し、土手に転覆しました。この事故で機関士が1人と、助手が2人、乗客数人が怪我をしました。乗客数人が怪我をしました。

この事故は犬釘が抜かれて継木板2枚も外されていたことが原因とされています。近くにバールとスパナが落ちていたことから事件となりました。本工手を逮捕、逮捕された男の自白をもとに工手20名が逮捕されました。全員有罪となり、そのうち、5人に死刑、5人が無期懲役になりました。

Alexas_Fotos / Pixabay

最高裁ではこの事件を無罪とし仙台高裁に差し戻しています。この事件では鍵を握る「諏訪メモ」というものが見つかっており、労働運動に対する捏造ではないかといわれています。事件は 国民運動が起こり、司法、裁判の見直しや在り方問題になった戦後をゆるがす大事件と言われました。この事件は1963年に時効を迎えています。

上尾事件が繰り返されないような世の中へ

xegxef / Pixabay

上尾事件は起こるべくして起こったような事件で、元は労働側と国鉄側の労働条件をめぐる対立でした。労働組合の行き過ぎたやり方が世間の批判を浴びました。国鉄民営化はそうしたことが背景になり加速されました。

今JRのサービスはとても良くなっています当時の国鉄時代の職員は何を思っているのでしょうか。親方日の丸と言う言葉が横行するような時代を作ってしまったのはやはりどこかでそれぞれが労働する者としての責任を忘れてしまったのでしょうね。

xusenru / Pixabay

暴力や暴言に勝つのは知識と知恵です。私たちは愚かな社会を作りたくはありません。集団の中の個人として選択を間違わないような気持ちを持っていることが大切です。二度と繰り返したくない過ちは過去にたくさんあります。たまには振り返ってみましょう。

下山事件に関する記事はこちらから

尼崎脱線事故の本当の原因は?に関する記事はこちらから