また、そのメンバーの一員としてクライドの兄のバックや義姉にあたるその嫁のブランシェもチームメンバーとして所属していました。
バロウギャングのメンバーは何度か入替っていますが、ボニー、クライド、バック、ブランシェは何時も一緒でした。
ボニーアンドクライドは常に複数で行動
ボニーアンドクライドが罪を犯す時には、彼らのチームに所属していたメンバーも含めてどのような時でも複数人で行動を起こし、それぞれが自分の役割を全うしていました。
実際には2人だけの犯行ではない
実際の犯行は複数人で行っていましたが、ボニーとクライドは犯行を起こす際に何時も主要メンバーとして参加しており、2人で共に行動していたために2人のイメージが非常に強くなっています。
ボニーアンドクライドの逃走劇
犯行を繰り返していたボニーアンドクライドですが、どのように逃げ続けていたのでしょうか?
ボニーアンドクライド逃亡の日々
ボニーアンドクライドは何時も警察にマークされる存在であり、ずっと身を潜める日々を送っていました。
警察も無能ではないために、徐々に彼達は追い詰められていきました。
ボニーアンドクライド信望者が逃亡の手助け
しかし、警察はボニーアンドクライドを中々捉える事は出来ませんでした。彼達はこの荒廃した時代に現れた英雄であり、熱心な信望者も沢山いたのです。
ボニーアンドクライドはそういった信者に匿ってもらうなど逃げる為の手助けをしてもらっていました。
後にボニーアンドクライドを匿った罪で起訴された人物が23人もいる事が、どれだけ彼達が英雄のような扱いだったかを物語っています。
クライドの兄バックの死
順調に見えた逃亡生活も長くは続きませんでした。徐々に彼らは追い詰められていくのです。そしてついに壊滅への一歩となる出来事が起こってしまいました。
まず、逃亡生活の最中に兄のバックが警察との銃撃戦で大きな傷を負ってしまい、その傷が原因で帰らぬ人となりました。そして立て続けにその妻ブランシェも逮捕されてしまいました。
バロウギャングメンバーの逮捕
メンバーも次々に逮捕され、彼らのチームは壊滅状態になりました。
しかし、ボニーアンドクライドはそのような状態でも支援者の力を借りて、何とか逃げ続けていました。
ボニーアンドクライドの最期
何とか逃げ続けていたボニーアンドクライドですが、遂に最期の事切れる瞬間を迎える事になります。
彼達の最期の瞬間とは一体どのようなものだったのでしょうか?
ボニーアンドクライドを待ち伏せ
ルイジアナ州ビエンビル郡の田舎道で6人もの警官が彼達を待ち伏せていました。二人が近くに住むチームのメンバーと会うという情報を秘密裏に掴んでいたからです。
6人の警官は茂みの中で身を潜め、彼達が来るのを今か今かと待っていました。
ボニーアンドクライドを罠にかける
警察は予め用意周到な罠を仕掛けていました。警察の威信を懸けてこの場で決着を付けるつもりでした。彼達のチームのメンバーを使って、トラックが故障したかのように装ってメンバーを道端に配置しました。
そこに彼達が乗ったフォードV8がエンジン音の爆音を響かせながら近づいてきました。そして道端に立っていたメンバーを見つけ、メンバーを助けるために車を停止しました。
警官発砲!ボニーアンドクライドはハチの巣に
彼達が乗っていたフォードV8が停止するや否や、警察官は車ごと夥しい数の弾丸を喰らわしました。まずは警告をしたという話もありますが、どうやら警告もなく当初から銃殺するつもりだったようです。
撃ち込まれた弾丸の数は、定かでは無いですが80発~150発と言われていて、それだけの数の弾丸を喰らったボニーアンドクライドはハチの巣状態で絶命するという壮絶な最期でした。
ボニーアンドクライド最期の日は1934年5月23日の朝の出来事で、ボニーが23歳、クライドが25歳の時でした。反撃する間もなく、2人は短い生涯に幕を下ろしました。
ボニー26発クライド17発
後に行われた検視の結果、ボニーは26発、クライドが17発の弾丸を喰らった事が分かりました。
最期の事切れる瞬間、クライドは頭部にライフル銃を喰らって即死の状態でしたが、ボニーの方は息絶えるまで少々の時間があったようです。
彼女は悲鳴を上げながら車の外に出てきたところに、さらに数発の弾丸を喰らって息絶えました。
ボニーアンドクライドの死後
ボニーアンドクライドが亡くなったというニュースは瞬く間に拡散されました。
ボニーアンドクライド死亡現場に野次馬殺到
ボニーアンドクライドが最期に事切れた場所は野次馬の人だかりで溢れ返りました。彼達の目的は、ボニーアンドクライドの最期の死に様をこの目に焼き付けるためでした。
新聞などのメディアで彼達の最期を伝えられても、その強盗殺人犯でありヒーローの死をにわかに信じられ無いと言った民衆も沢山いたようです。