トゥアレグ族が愛してやまないのがお茶です。クレイジージャーニーではヨシダナギさんが彼らにお茶をふるまわれたシーンが放送されていたので印象に残っている方も多いでしょう。このお茶とジャリパンと呼ばれる砂の上で焼かれるパンが大好物のようです。
彼らの食事の9割以上は穀物を調理したものでタンパク質は遊牧民らしくヤギや牛からの乳製品によってタンパク質をまかなっています。
トゥアレグ族の歴史
青いターバンを男性は身に着け、女性たちは身分が高く勇敢で、お茶とジャリパンが大好きなトゥアレグ族たち。彼らがなぜサハラ砂漠で暮らしているのか、どのような歴史を持っているのかをここからはご紹介します。
起源は北アフリカにカブサ文化を持ち込んだ人々
はるか紀元前数千年前という大昔に「カプサ文化」を北アフリカに持ち込んだ人々が彼らトゥアレグ族の祖先になると考えられています。石器を扱っていたことが遺跡調査によって明らかにされており、代表的な遺跡はチュニジアにあるエルメクタ遺跡が有名です。
トゥアレグ族はポルトガル人との貿易で栄えた
さらに時は流れ、15世紀には西アフリカにいるポルトガル人と貿易を行っていたことも分かっています。今よりももっと大きなラクダの隊商を組みポルトガル人たちと対等に取引を行っていました。サハラ砂漠に君臨し、ここでの取引を掌握するほどの力を持ち大きく栄えました。
トゥアレグ抵抗運動で難民と化しリビアへ
サハラ砂漠での取引を掌握し、時には他の隊商を襲ったりオアシスの略奪を行っていた彼らは好戦的な一面がありました。フランスによる北アフリカの植民地化にも当然強く反発しトゥアレグ抵抗運動を展開し、闘争を繰り広げましたが徹底的な弾圧が行われました。この弾圧から逃れるため多くのトゥアレグ族たちが難民となってリビアへ押し寄せました。
リビアでは戦力として重宝された
好戦的な気性を持つことからリビアでは戦力として重宝されたという歴史もあります。当時のリビア独裁者であったカダフィ大佐もリビア軍に彼らを組み込み重宝しました。
トゥアレグ族「アザワド解放民族運動」に加担
カダフィ大佐によって戦力として重宝されてきたトゥアレグ族でしたがカダフィ大佐が殺害されたことで再び場所を失います。リビアからマリへ流れ込みそこにいたトゥアレグ族たちとマリ北部砂漠地帯アザワドにおける独立を要求する「アザワド解放民族運動」に加担しました。
これまでもマリ政府がトゥアレグ族たちの貧困や訴えを無視し続けてきた不満がここで一気に噴出した形となりました。