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海外版の行方不明事件
子供の消息不明事件は日本だけでなく世界中でも多発していますので、そういった海外版の消息不明事件をいくつか紹介していきます。
マデリンちゃん失踪事件
2007年5月3日にポルトガル南部のリゾート地であるプライアダルスで発生した消息不明事件です。当時3歳の英国人だったマデリン・マクカーンちゃんが消息不明となりました。現在も未解決のままです。
家族構成
父親は医師のジェリーさん、母親も医師のケイトさん、長女のマデリンちゃん、双子の弟と妹の5人家族でした。
当日の出来事
2007年5月3日の夜、父母は3人の子供たちをホテルの部屋に残して食事に出掛けてしまいます。はっきり言ってこの行動は親として信じられ無い行動です。しかも部屋の鍵を閉めていなかったようです。
その部屋は1Fだった為に、簡単に部屋に入る事が出来ます。そしてPM22:00頃に部屋に戻った時にマデリンちゃんは忽然と姿を消していました。そして部屋の窓と扉は開いていたそうです。
マデリンちゃんだけ姿がなく、双子の弟と妹は無事でした。3人のうち1人だけ消えるというのは石井舞ちゃんの事件と共通しています。
大々的な捜査
父母とも医師であった為に、この一家はかなり裕福な家庭でした。その為、財力を駆使して大々的にこの事件への協力を要請しました。
YouTubeにビデオを載せたり、多言語に翻訳したポスターを自作して様々な国に配布をするなど、その影響は世界中に広がっていったのです。
著名人も協力
著名人もマデリンちゃん事件解決の為に、惜しみない協力を申し出ました。例えばハリーポッターの原作者であるJ・K・ローリングさんはこの事件の情報提供者に日本円で1億円を超える懸賞金を掛けました。
また、元サッカーイングランド代表のベッカムや他のサッカー関係者がメディアを通じて情報提供をお願いしています。政界や財界からも様々な人が情報提供を呼び掛けています。
両親が容疑者?
全く進展を見せなかった捜査ですが、ある日思いがけない方向へと向かいます。なんと、マデリンちゃんの両親を容疑者として事情聴取をする事にしたのです。
父母が容疑者になった根拠は、レンタカーの中にあった血痕だと言われています。その血痕がマデリンちゃんのものではないかと疑われたようです。
しかし、その血痕がマデリンちゃんのものと特定出来ず、証拠不十分で釈放される事になりました。
イータン・パッツくん失踪事件
1979年5月25日、当時6歳だったイータン・パッツくんが消息不明になった事件です。自宅から2ブロック離れていたバス乗り場に向かっている途中で消息が分からなくなりました。
当時メディアが流していた情報では、父母がパッツくんに1人でバス乗り場に向かう事を許可したのはその日が初めてだったそうです。
まさか初めて1人で向かった日にこういった事件に巻き込まれるとは、父母も考えてもみなかった事でしょう。
行方不明の児童の日を制定
当時、アメリカでは情報提供を募る為にパッツくんの顔写真が牛乳パックに印刷されるといった大騒ぎになってしまいました。併せて他の消息不明事件にもフォーカスが当たるようになりました。
そして、この事件をきっかけとして、当時のレーガン大統領はパッツくんの消息が分からなくなった5月25日を「行方不明の児童の日」と制定しました。
残酷な結末
事件が起こってから33年経過した2012年に事態は大きく動く事になります。パッツくん殺害の容疑でペドロ・ヘルナンデス容疑者が逮捕されたのです。
彼はパッツくんの首を絞めて殺したと供述しています。ジュースをあげると言って地下室に誘い込み殺害後、遺体をカバンに入れて近くのゴミ捨て場へ遺棄したのです。
無事に帰って来てくれる事を待ち望んだ家族にとっては残酷な結末となってしまいました。
石井舞ちゃんを家族はいつまでも待っている
どれだけ時間が経過しても、どれだけ世間から事件が風化しても石井舞ちゃんの帰りを待つ家族の思いは変わりません。あの日からずっと変わらず石井舞ちゃんの帰りを待ち続けているのです。
待ち続けている石井家の人の為にも、また何よりも石井舞ちゃん本人の為にも何か出来る事はないでしょうか?
たとえ一人であっても石井舞ちゃんの存在を思い出して貰えるように、語り継いでいかなくてはいけません。それが石井舞ちゃん発見のきっかけになるかもしれないのです。