この受刑者は平成9年(1997年)8月からこの岡山刑務所に入所しており、罪名は殺人や強盗などの無期懲役でした。
雑居房にいたものの規律違反があったとして、平成11年(1990年)2月から独居房に移動されていました。
判決内容や年齢また刑期などから自殺未遂をしたのは鈴鹿市ベルシティ事件の犯人。樋田康則です。
重体でありましたがその後の知らせがなく、その後別の受刑者が自殺した記事において、樋田 康則受刑者の死亡していたが判明しました。
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平成5年7月28日に襲われた被害者が証人として出廷
加害者が住居に侵入、寝ていた当時16歳であった女子高校性を発見して、ケガキ針工具で右目内眼角付近を突き刺して、脳内まで到達する傷を負わせました。
少女は下半身麻痺・言語障害・右目失明等の後遺症が残っています。
この少女が法廷に父親と共に車椅子で出廷して証言します。加害者が行った悪行があまりにも残虐的であり、出廷した少女の未来を微塵にも砕く凶悪行為と傍聴席に悲哀感を漂わせるものでありました。
後遺症が酷く頭痛に悩まされ、薬を毎日飲み続けていることや、将来夢にしていた保母さんの資格取得が出来なくなった。
自分の未来は絶望のみしかない。左目も視力が低下していく一方等々。やや不自由な口調でたどたどしく証言。「どんなことをしたら、死刑になるのか。こんな体にされたことが悔しい」と涙目で訴えました。
他にもあった鈴鹿市ベルシティ同様の中学生殺人事件について
鈴鹿市で起きた未成年による代表する殺害事件です。未成年といっても、事件内容を見るとやはりむごたらしい事件であります。
中学生殺人事件①三重県中3女子死亡事件
平成25年(2013年)8月25日四日市の花火大会とあり、被害者は友人と共に見物に出かけ、同日午後10時頃、自宅最寄りのJR朝日駅で下車しました。
友人と別れ、一人で県道を歩いて自宅に帰る途中に行方不明となり、4日後の29日に遺体が発見されます。場所はなんと殺害者自宅に近い三重郡埋生地区、県道脇の農地付近でした。
遺体は下着のみの恰好で、仰向けで横たわっており、現金6000円も抜き去られていました。当初は時間帯場所等などの理由で難航するであろうと思われた事件でありました。
警察の懸命による捜査が功をなし、また監視カメラを検証していく中で、発生から半年後に遺体発見現場から10分程離れた家に住む18歳の少年が浮上しました。
この少年は友人などつかってアリバイ工作をするものの少しずつアリバイが崩れていき、少年が通っていた高校卒業した明日(みょうにち)の、3月2日に逮捕されました。
被害者は通りすがりの女子高校生を襲っており、やはり自分の自己満足の為、わいせつ目的の犯行でした。
中学生殺人事件②鈴鹿市中2暴行死亡事件
平成28年(2016年)三重県鈴鹿市の公園で10月10日午後中学2年生(当時14歳)を4人の少年少女らで殴るや蹴るやの暴行を受け、その後死亡した事件です。
障害致死罪に問われた主犯のとび職少年(当時17歳)津地裁、裁判員裁判で12月1日懲役5年以上8年以下の不定期刑判決を言い渡した。
弁護側は「家庭に問題があり、養父からの虐待など考慮すべき」と主張します。判決結果は少年と共謀者3人は少年院送致の保護処分となりました。
蹴ったり殴るなどの暴行。被害者は急性硬膜下血腫の障害を負わせ、10月23日に脳ヘルニアにより死亡しました。
日本史上最悪レベルの残虐殺人事件
【北九州監禁殺人事件】人の弱みにつけ入り監禁をしてお金を巻き上げる。拷問と虐待によって人の思想や情報をコントロールして、配下に置き、お互いの不満をぶちかましあい相互不信を起こさせ、逆らえなくさせます。
その後、お互い被害者同士で虐待させます。自分の手は絶対に汚さず。用済みとなった人間は虐待させた相手の手で殺害させて、死体処理までさせるといった稀に見る凶悪であり、日本史上最悪の残虐事件です。
鈴鹿市ベルシティ事件は欲求を満たす為に女子中学生が殺された事件
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則がこれまで起こした数々の事件は自己中であり、自分の欲求を満たす為の事件でありました。
どれも許しがたい事件でありますが、その中でもやはりひどいさまな殺され方をしており、自分自身を守る為にAさんをノコギリで切断。
池に沈めて鈴鹿市ベルシティ事件が元々無かったかのようにする行為は許しがたい事件の一つだったといえます。
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