悪魔のキューピーとは?人気生放送主の現在と元ネタの大西政寛も紹介!

大西輝吉という男が酒に酔って大西政實に言いがかりをつけ、政實の妻を売春婦呼ばわりした挙句、名を聞かれ「山村組の大西じゃ!」と政實の名前を語りました。政實はその場は我慢しましたが、その日のうちに大西輝吉を探し出し、神社で射殺しました。

悪魔のキューピーの凶暴性④銃撃戦で二人を射殺し自らも命を落とす

大西政實の最後は壮絶です。警官隊40人に取り囲まれ、銃撃戦を起こし警官を2人射殺したのち自らも背後から心臓を撃たれ、死亡しました。大西は普段から警官が自分を捕まえに来たら、ためらわずに撃ち殺すと放言していました。

悪魔のキューピーはヤクザになる前も凶暴だった!

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衝撃的な事件の数々を起こした悪魔のキューピー、大西政實ですがヤクザになったから悪さをしていたというわけではないようです。その片鱗は小学校時代から現れていました。ここではヤクザになる前の大西政實が起こした事件に触れていきます。

悪魔のキューピーの生い立ち①尋常小学校での事件

尋常小学校の高等科1年の時(当時13歳)字も覚えず、教室で絵を書いてばかりだった大西に教師が「お前はペンキ屋になるんか?ペンキ屋でも字は書けななれんぞ」とからかったことで怒り狂い、金属の文鎮で教師を殴り、ボコボコにしたのでした。大西はその事件で即日で学校をやめさせられました。

悪魔のキューピーの生い立ち➁海軍軍人事件

大西が16歳の時、広の食堂でビールを飲んでいました。それを見た海軍の軍人が腹を立て大西に「おめえのような餓鬼はまだビールなぞ飲むには早ぇ!」と言ったらしく喧嘩になりました。大西は隣の商店の台所からとってきた刺身包丁で軍人の腹を刺し、さらに耳を切り落としました。

大西政實の家族

大西政實が悪魔のキューピーと呼ばれるようになったのは、一度怒ると手が付けられなくなるその強烈な性格が根本にあります。大西がそのように育った背景には様々な要因があったと思いますが、ここでは大西の家族に触れてみようと思います。

悪魔のキューピーの出生

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大西の生まれた実家は広島県の呉市広小坪の裕福な商店でした。しかし父親はモルヒネ中毒で若くしてなくなりました。母親は家を追い出されてしまい、祖母の元で甘やかされ育ちました。そうして自然と悪ガキに育ちました。

大西政實の妻と子供

大西は悪魔のキューピーと呼ばれる苛烈な性格を持ち合わせていましたが、その一方で愛妻家でもありました。前述した一般人を射殺した時には妻を侮辱され怒りに火が付きました。また妻との間に長男を設けましたが、誕生して数日で亡くなってしまいます。大西はこの子に幸三名づけ弔います。

ここまで悪魔のキューピーこと、大西政實について語ってきましたが実際に悪魔というものはイメージでは分かっていても、どういうものか語れる人も多くはないと思います。こちらでは悪魔に関する情報を語っています。興味のある方は是非ご覧ください。

悪魔のキューピーと戦争

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悪魔のキューピーも他の人の例にもれず、戦争に徴兵されました。悪魔のキューピーと呼ばれた男でも戦争はひどいものだと呟いていたそうです。母親にどんな生活をしているか手紙も書いていました。ここではそんな大西の戦時中の話を語っていきます。

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