闘病中「娘が3歳になるまでは生きたい」と語っています。なぜ3歳なのかというと「3歳ならば父親の記憶に残るから」という理由です。
この強い意思も虚しく娘さんが1歳と半年が過ぎた頃に亡くなってしまいました。
池田貴族元アイドルと同棲・結婚
池田貴族さんはお仕事の関係で知り合った元アイドルの一美さんと1996年に入籍しました。
お付き合い自体は1992年から始まっており、約4年ほどの同棲生活を経て結ばれました。
96年にはすでに病気が判明していましたが、それも承知の上で一美さんは結婚を決意しています。それだけ二人の絆は強いものでした。
池田貴族ガン再発と娘の誕生
1996年にはガンが再発してしまっているのですが、一美さんはそれでも一緒にいたいと入籍を決意、翌年には妊娠も分かり1998年2月に長女の美夕ちゃんが誕生しました。
その時すでに病気は進行しており、もはやステージは4のいわゆる末期ガンで進んでいた状況でしたが、貴族さんは娘のためにも必死に病と戦っていたのです。
ライブ「大生前葬」
貴族さんはなくなるまでの間に大生前葬というチャリティライブを行なっています。またライブの直前4月には、愛娘である美夕ちゃんのためにシングル曲『MiYOU』も発売し、最後まで精力的に活動していました。
特に貴族さんの出身校である愛知県立千種高校の先輩にあたる舘ひろしさんも参加しました。しかし出演依頼はとても難しい問題があったのです。
当時人気絶頂で出てもらうにはギャランティなどの面でスタッフ達は悩みに悩んでいました。しかし館さんに何度か相談をしている際に直接お手紙で出演をノーギャラで受けてくれる知らせが届きました。
「高校の後輩で、芸能界の音楽を愛する後輩が、その死にざまを見せようとしているときになぜ俺が金をほしがるのか?俺は一切の金は受け取らない。」(引用:中村区中村町の中村)
このライブは友人であるみうらじゅんさんや山田雅人さん、いとうせいこうさんなどがあつまり、3000人規模の会場を満杯にし、多くの人に支えられ、また影響を与えていたことが分かります。
Contents
池田貴族と大槻ケンヂの友情
同じホコ天、イカ天時代に活動していたバンド仲間は貴族さんの周りにたくさんいました。その中でも大槻ケンヂさんとの親交は特に深かったようです。
大槻ケンヂが書いたエッセイ本『神奈、頭をよくしてあげよう』の中でも貴族さんとのエピソードが紹介されています。
お酒も飲めないほどボロボロの貴族さんは大槻ケンヂさんと居酒屋に行った際、女の子をナンパをしなかった大槻さんに「なんであの時行かなかったんだよ、俺の分も人生楽しまなきゃだめだ」と話したと書かれています。
池田貴族の死因と寂しい最期
ガンが体を蝕みながらも、やせ細った身体での活動は限界を迎えてしまいます。ついに池田貴族さんに死の瞬間が訪れます。
池田貴族死去
肝臓や肺をほとんど切り取ってしまい、全身に70個以上のガンがある状態で手術は不可能というところまで来ていました。
そんなボロボロの池田貴族さんは、1999年のクリスマスの日に息を引き取りました。亡くなるにはあまりにも若すぎる36年の人生でした。