それが、下関通り魔殺人事件に使われた包丁とレンタカーの容易でした。それもかなり直前に行われたものだとわかります。
どうやら彼は下関通り魔殺人事件を引き起こす1日前に包丁は用意したようで、その姿が購入したディスカウントショップで確認されています。さらに、その後には現場確認のために、下関駅にも訪れています。
ここでどうやや下関通り魔殺人事件での凶行を緻密に計画していたようなのです。また、レンタカーに関しても事前に用意しており、事件当日の午後1時ごろにレンタルしていたそうです。
あkれ自身は、非常に多くのこと悩み行動をしていたようですが、下関通り魔殺人事件自体は非常に計画的に考えられており、綿密に寝られていたのだということが分かります。
事件3週間前に起こっていた池袋通り魔殺人事件を模倣
下関通り魔殺人事件は、この事件が発生する前に起きた池袋通り魔殺人事件を模倣したことも明らかになっています。この事件についても焦点を当てていきましょう。
なぜこの事件が下関通り魔殺人事件に関係しているかというと、犯人自信がこの事件を模倣したと裁判で語っているからです。こちらの事件が起きたのは同年9月8日のことでした。
池袋の東急ハンズ前にて、23歳の男性が包丁を振りかざし通行人2名を死亡、6人に重軽傷を負わせた出来事でした。
彼の犯行動機も、今回の下関通り魔殺人事件と共通する点が数か所あり、犯行動機に人生に絶望し、環境的な不平等にも異を唱えて犯行に及んだというものでした。
この出来事を参考に、当時上部康明はより多くの人を巻き込む事件なら、こういった通り魔的犯行がいいと考えていたようです。とはいえ、包丁だけでは大勢を巻き込めないので、車の使用を考え付いたと語っています。
犯行予定日は別日だった?急きょ及んだ犯行
9月29日に下関通り魔殺人事件は引き起こされ、多く人を巻き込む恐怖の出来事となりましたが、しかし実はこの事件は本来、もっと後に行われる計画だったそうです。
というのも、上部康明が語るには、急きょこの犯行日を変更したと語っているからです。もともとの犯行予予定日は、9月28日ではなく、10月3日だったそうです。
そのため、自宅のカレンダーには10月3日の欄に「スクランブル・アウト」という言葉が書かれており、これは「飛び出す」といった意味合いになります。つまりこの日に犯行を計画していたのです。
しかし急きょ変更となります。その理由は、またもや両親が関係していたと言います。9月29日当日、彼は両親からある言葉を投げかけられたそうです。それがきっかけで下関通り魔殺人事件を早めます。
その内容は、事業で使用していた冠水した車は自分で廃車手続きをするようにとの物でした。もちろんいたって普通のことで、改めて言われなくてもと思える内容でしょう。
しかし当日の彼はこれまでの不幸な環境を経験し、余裕がなかったのでしょう。こんな状態のか自身で廃車手続きをするなんて気分になれないと思ってしまったのです。
これが理由で、下関通り魔殺人事件の犯行計画を急きょ早め、レンタカーを準備し睡眠薬を飲み、すぐさま行動に取り掛かってしまうのです。
下関通り魔殺人事件の判決は?裁判のゆくえとは
下関通り魔殺人事件という凄惨な出来事が起き、その後の裁判はどのような判決が下ったのでしょうか。彼の精神状態がどのように判断されたのかも含めて調べていきましょう。
心神耗弱を主張!しかし死刑判決が下される
引き起こされた下関通り魔殺人事件の裁判ですが、結論から言うと死刑判決となりました。しかし、判決が下るまでにはいくつかの裁判焦点が争われたそうです。
元々精神症状をきたしていた上部康明。このことを考えて、裁判中には精神鑑定が2度行われたのだそうです。その結果、下関通り魔殺人事件の善悪判断能力は著しく減退していたといわれる結果でした。
しかし、一方で減退であり喪失でない点、精神の状態による心神喪失あるいは心神毛弱状態だったという点が、争点となり、弁護士側はこれらの診断結果から心神耗弱状態を主張しました。
しかし、判決では判断はつく状態で判断能力や責任能力を左右するほどの精神状態ではなかったこと、自信で計画を練り、極めて残虐な犯罪として死刑が下されることとなりました。
2012年3月に上部康明の死刑が執行された
2008年、最高裁弁論で判決が下った以降、幾度か弁護側は彼の死刑判決破棄を求められましたが、改めて死刑が下り、そして2012年3月死刑が執行されることとなります。
その際、過去に起こされた横浜前妻一家殺人事件の犯人である古沢友幸死刑囚と宮崎連続強盗殺人事件の松田康敏死刑囚も同日に死刑が執行されます。
下関通り魔殺人事件の被害者への不平等な賠償金
死刑判決が下り、下関通り魔殺人事件は終わりを告げました。しかし、実は隠された裏では実はもう一つの問題も起きていました。それは下関通り魔殺人事件の被害者に関する問題でした。