えたひにん苗字一覧とは?現在どんな苗字が多い?多い地域も紹介!

ひにんはえたより上の位?金銭を払えば脱出できた?

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ひにんの中でも抱非人は、えたよりも上位の身分であったとされます。彼らは一定の金銭を支払えば、平民へと帰属できるチャンスが持っていたのです。

近親相姦や、未遂の無理心中、15歳以下の野非人の窃盗などといった罪を犯した人が、平民の身分をはく奪されます。いわゆる保釈金を支払うことで、元の生活に戻る機会が得られるのです。

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えたひにんの相違点を、こちらの記事でより詳細にご紹介しています。興味のある方は、併せてご覧ください。

えたひにんが生まれた理由は?なぜ差別の対象となったのか

身分が制定された当時、なぜえたひにんという差別の対象となるような身分が作られたのでしょうか?平民の不満のはけ口という考え方もありますが、一番の大きな理由は彼らの職に関係するのではないかと言われています。

えたひにんの制度が誕生した理由とは?

人間を含む動物の死骸を扱うという職業は、階級が確立する前から“穢れに触れる職”ということで嫌厭されていたのです。しかし死骸を放置しておくわけにはいきませんから、彼らの職として定着させました。

代々受け継がれる職のため安定はしていましたが、人々からの差別的な視線は増す一方となったのです。

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また、日本の歴史では度々食肉を禁止する文化が見られます。江戸時代はまだ食用として動物を育てられておらず、動物の肉を食べる機会も少なかったのです。

食事には必ず生命の死が関わってきますが、当時はまだそういった理解は浅く、この認識のなさが彼らの職業が忌み嫌われていくのを助長したとも考えられるでしょう。

えたひにんが差別されたのは宗教の理由?

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中国から伝来した仏教も、この差別を助長する要因となってしまったという説があります。仏教には『因果応報(自分の行いは自分に返ってくる)』を説く教えがあります。

この教えの意味を取り違えて、“殺生に関われば不運が付きまとう”“前世での行いが悪かったから、今世で賤民になった。諦める他はない”と言われることもあったようです。

えたひにんの多い地域とは?

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前述でご紹介したとおり、えたひにんは決められた場所でしか生活が出来ませんでした。彼らが追いやられた地は、現在で言うとどのあたりなのでしょうか?

えたひにんの多い地域は西日本に集中していた?

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彼らの多くは、日本の西部で生活をしていたようです。1982年に行われた部落地域数の調査では、関東地方609、中部地方345、近畿地方1004、中国地方1061、四国地方676、九州868と、数値からも偏りが分かります。

しかし、人口と規模は地域ごとに異なりますので、部落地域数がすべてという訳ではありません。

えたひにんの多い地域①福岡県

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えたひにんの人口が一番多かったのは、福岡県でした。江戸時代、福岡藩は「革多役」として皮革の上納を命じられ、皮なめしを得意とする北海道・蝦夷からえたひにんを招集しました。

また、九州北部に分布する社寺を清潔に保つための清掃員が必要でした。この人員確保のためにも、全国各地からえたひにんが呼び寄せられたとされます。

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