三河島事故は国鉄戦後五大事故のひとつ!事故の概要や心霊現象の真相も

本来であれば茨城県土浦で起きた同様の惨事も大々的にニュース等で取り上げられるほどの被害状況、規模でしたが、戦争により日本全土がそれ以上の規模、被害状況となっていたのです。

そのため大々的に報じられず、世間に明るみなるどころか、国や政府すらも問題視されなかったのです。ですからまともに現場検証などが行われず対策、改善、整備が十分にできなかったのです。

三河島事故前に心霊現象の噂があった?

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『三河島事故』という惨烈なカタストロフィが起きてしまった、1日前に妙な心霊体験をした人物がいたという噂、都市伝説があるらしいのです。

その噂によればその人物は当時まだやんちゃな少年であり、友達と一緒に舞台からそう遠くない線路に侵入して遊んでいました。

現在ではそんな真似できませんが昭和初期であれば、まだ駅員の目が行き届かず、そうひった非行も許されたわけではないですが、子供特有の興味本位でそこをかいくぐって危険な場所で遊んでいたのでしょう。

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何気なく遊んでいると、他の数名の人間が線路の上を徘徊するように歩いていたのです。そしてよく見るとその人間たちは酷い怪我を追っていて血を流していたのです。

驚くのもつかの間その人間たちと目が合うとパタリと蒸発するように消えてしまったようです。子供たちは口を揃えて幽霊であるといって騒ぎ立てました。

そしてその明くる日の晩、同じ場所で100名以上の人間の命が奪われてしまった『三河島事故』という惨烈な出来事が発生したのです。その心霊体験をした子供たちの噂が本当なのか嘘なのかは定かではありません。

三河島事故の犠牲者たち

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先ほどは『三河島事故』という惨烈なカタストロフィがなぜ起きてしまったのか?もっといえばなぜそれほど膨大な規模の被害となってしまったのか?その『いきさつ』について掘り下げて考察していきました。

その時の時代背景が大きく関わっていたり、まだ電車、列車のシステム、設備が満足な状況ではなかった事。なぜ操縦士の人間がミスを犯してしまったか、また前日の心霊体験の噂などについて。

よく理解していただけたはずです。現在であればあれほどまで膨大な被害となることもなかったのです。それは『三河島事故』をはじめとした、惨事が教訓となり経験を生かして改善、対策されていったからです。

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これまでの記事の中では100名以上を超える乗客、ヒトの命が奪われてしまった。ということしかお伝えしていませんが、その『犠牲者』たちに向けても焦点を当てて深く考えなくてなりません。

次に人為的によって引き起こされた惨烈な惨事によって、命を落としてしまうことになった100名以上の『犠牲者』についてお話しさせていただきます。

100名以上となれば、一般人ではない乗客、訳ありな乗客も存在していました。

三河島事故で未だ身元不明の遺体が存在する

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先ほども解説しましたが、舞台となった線路の近くで前日に心霊体験した少年の噂など『三河島事故』は色々な都市伝説があり奇々怪々なイメージがあります。

勿論『心霊』の噂、都市伝説。それは非科学的な事象であり事実無根であるわけですが、実際に現実に非常に不可解な事象が起きていたのです。それはどういうことなのでしょうか・・・?

160名以上というあまりに多い『犠牲者』たち。そのほとんどの人の遺体、つまり亡骸の状況もそれほどまでには損壊もしていなく、身元が確認されました。

身元が確認されると当然ですが、家族、親族、知人などに皆引き取られる形になりましたが、唯一1人だけ『身元不明』で引き取られなかった人物がいたのです。

その亡骸となった人物の身元は、2019年令和元年となった現在でも判明しておらず、それゆえ引き取る家族や知人も現れていないのです。

これだけの事実だけでも『三河島事故』の非常に奇々怪々であると感じますが、その詳細を知るとより一層謎が深まるのです。その謎について下記にまとめてご紹介していきます。

遺体番号88の噂

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その亡き人物、身元不明の犠牲者は上記の題のように『番号』で呼ばれていますが、それは一時的な識別のためであり、身元が分からない。引き取り人が現れていないがために現在でもそう呼ばざるを得ないのです。

逆に言えば、他の100以上の番号で呼ばれた方は最終的に無事に家族、親族、知人に引き取られて、その番号が消滅するわけです。

何故身元が分からなかったのでしょうか?決してその亡骸が見るも無残な姿、遺体損壊が進み過ぎていたわけでなかったのです。けれども今日までその身元不明の犠牲者の身元が分かっていません。

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その気になる正体が分からない人物が発見された時の情報は、身長は160センチメートル前半、年齢は20代から30代と推定され、顔の輪郭が丸みを帯びていたようです。

更に服装は紺色の背びれ姿であり、なぜか『手には数珠が握られていた』ようなのです。彼もまた『三河島事故』による惨事に巻き込まれたことにより命を落とした人物である。

と普通に考えればそう捉えますが、実は偶然近くで亡くなっただけであって、本来は事件、事故、自殺により命を落としたという線も十分にあると考えられているそうなのです。尚、真相は不明であります。

三河島事故の犠牲者には著名人も含まれていた

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『三河島事故』という昭和に起きてしまった惨烈な惨事、悲劇に巻き込まれた人物の中には、その当時世間を賑わしていた有名人、著名人が1名いたのです。

その人物は現在で言うところのお笑い芸人であり、巻き込まれた後は芸名を変えて活動していました。

その『三河島事故』の当事者であり、巻き込まれてしまったお笑い芸人というのは2人、つまりコンビで活動していて、実の血縁関係にある夫婦でありました。

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2人両方が巻き込まれた、2人が被害に遭ったわけでなく、夫である人物が巻き込まれてしまい怪我を負う事になりました。

尚、当時どの車両に乗っていたのか、どのように巻き込まれてどの程度の怪我を負うことになったかは詳細不明であります。

後に一世を風靡した芸風となるセリフには、奇しくも『電車』『列車』をイメージするような『地下鉄』がテーマになっていて、その単語が含まれていました。果たしてこれは意図したものなのでしょうか?

三河島事故犠牲者のために観音像が設置された

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今回の記事でクローズアップしている『三河島事故』は、当然ながら不慮の出来事であり、誰ひとりとして予期せぬ悲劇、事態となってしまったのです。

まさかその当時、列車を利用していた数百人の乗客たちが惨烈な目に遭うなど、知る由もなく、命を落とす事になるなど分かっていなかったのです。

そのような状況で突然、命を落とす事になったので、現実世界すなわち『この世』に未練が残っている霊魂も沢山存在すると考えられました。

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そこでそういった多くの霊魂たち、亡き人たちに向けて慰めるように、また二度と起こらぬようにと『慰霊像』が建てられました。

その像はいわゆる『しょうかんのん』と呼ばれる仏教の信仰対象の神の一つであります。近くのお寺に建てられています。

『三河島事件』という国鉄が起こした惨烈な悲劇から10年後に起きた、国鉄と乗客たちによる大暴動、大騒動の『上尾事件』に関する記事はこちらです。興味のある方、気になる方は合わせてご覧ください。

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