西沢裕司の現在や生い立ち、犯行動機とは?【全日空61便ハイジャック事件】

西沢裕司は罪なき機長傷つけて、憧れ続けてきた操縦席を奪うと、実際の飛行機を運転しました。これまでに航空に関して豊富な知識を蓄えていましたが、実践は初めてであり、当然初心者同然でした。

ゲームなどの疑似的体験とは全くの別物であり、何度も訓練をこなさなくてはまともに運転などできないという事は、誰でも想像つくはずです。

案の定、西沢裕司の運転は、急激に高度を上げ下げしたり、地上からすぐ近くを飛ぶなど、生きた心地のしない危険で無謀なモノでした。

複数名に確保された

実際に乗っていた被害者、当事者である乗客、スタッフの複数名は命の危険を感じて、意を決して操縦室に侵入して、西沢裕司と格闘して取り押さえることに成功しました。

羽田に帰還するも機長は亡くなった

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機長もすぐさまスタッフにより必死に救命処置が取られましたが、既に意識不明の重体であり、時間が経ち過ぎていたのか、致命傷の傷を負ってしまっていたためか、命を落として帰らぬ人となってしまいました。

管制官が既に状況を把握していたこともあってか、その後は、他の操縦士が運転して無事に元々の出発地点でもある「羽田」に帰還することができました。

この時、全ての元凶である西沢裕司は、勇気ある乗客たちによって取り押さえられていたことでしょう。無事に着陸した後は、西沢裕司は凶悪な犯罪者として警察に検挙され連行されました。

機長の的確な判断により乗客は助かった

墜落などの最悪の事態、カタストロフィが引き起こされずに済んだのは、1人の尊い犠牲者の機長おかげと言っても過言ではありません。

機長は西沢裕司を逆上させないように冷静に説得して、その様子を、悟れないように「管制塔」と通信して状況を伝えていたのです。その時の言葉選びや冷静さは賞賛に値するものでした。

冷静に対応して、危険が及ばないように、傷つけられるその時までずっと操縦席を譲らなかった勇敢な行動をした機長について、下記に簡単にまとめていきます。

機長のプロフィール

名前は「長島直之」さんで、その当時の年齢は50歳前半でした。旅客機の機長としてのキャリアは長く、その間に一度も問題を起こしていない、暑い信頼を得ているそんな人物でした。

西沢裕司が全日空61便ハイジャック事件を起こした動機と背景

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これまでに西沢裕司の過去の生い立ち、取り返しのつかないことして悲劇を引き起こした前代未聞の出来事について解説していきました。

彼が取り返しのつかない所業を働いた理由について、ここまで読んでいただけたらならなんとくなく、幼いころから抱き続けた夢と挫折が関係していると、察していただけるのではないでしょうか?

実際に西沢裕司は、航空に携わる企業、もっと言えば機長に強い憧れがあり、それをこじらせたことがきっかけとなりました。こちらでは彼が供述した実際の動機についてまとめていきます。

大型旅客機を自分で操縦してみたかった

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前述でも何度か記述していますが、西沢裕司はゲームや頭中に思い描いていたヴィジョンの中ではなく、実際の大きな旅客機を運転してみたい、という願望が募りに募って、取り返しのつかない所業をしました。

始めは輝かしい夢、誇れる未来のヴィジョンでしたが、これまでにひたむきに取り組んできた努力が実らず、叶わなくなってしまい挫折してしまったことにより、自我を忘れるほどの強い欲求に変わったのです。

その欲求を叶えるならば、他者、社会の事を顧みない、手段をいとわないといった危険な反社会性の人格が芽生えてしまっていたのでしょう。

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結果的に西沢裕司は悍ましい所業を行って、その欲求や願望を強引に叶えることができましたが、当然ながら運転は素人同然であり、急激に高度を上げ下げするなど、命を脅かす危険な運転をしました。

下記に具体的にどんな運転をしたいと考えていたのかを解説します。

実際に墜落して500名以上の人間が命を落とした凄惨な事故についてはこちらの記事です。興味のある方や気になる方は合わせてご覧ください。

レインボーブリッジをくぐってみたかった

東京都港区に存在してお台場と芝浦を繋ぐ、実物を見たことは無くても日本人であれば一度は耳にしたことがあるであろう、有名な架け橋。

西沢裕司は、童心に帰っていたのか、常識を忘れてしまったのか、その架け橋を実際の旅客機で通り抜けてみたいと考えていたのです。

ゲームや映画の世界であれば、そのようなアクロバットな技が可能かもしれませんが、全く経験のない素人がしたいという欲求だけで、試そうとするなど、危険であり身勝手で愚かすぎます。

ダッチロール(蛇行運転)をしてみたかった

更に西沢裕司は、蛇行するように機体を不規則に上下、左右させて傾けながる運転をしてみたいと考えていたらしく、本来であれば、そのよな運転は不具合であり危険な走行であります。

興味本位で、身勝手な欲望で罪なき乗客やスタッフを命を脅かす危険にさらすなど、幼稚で責任感がなさすぎると考えられ、到底、西沢裕司が正規の機長として勤まるはずないと言えるのではないでしょうか?

このような身勝手で危険な欲望、願望に巻き込まれてしまった当事者たちは、本当に可哀想であり、無事に帰還できて何よりでした。

航空警備の欠陥の改善の手紙を送り自分を雇ってもらいたかった

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西沢裕司は取り返しのつかない所業をしでかして、凶悪犯罪者として名を馳せる前に、航空会社に書類を郵送していました。

その書類には、少年時代から常に「航空」のことしかなく、常にアンテナを張っていた、西沢裕司だからこそ気づけた、セキュリティ、警備のシステムの盲点や欠陥を指摘する内容が綴られていました。

更に自分ならその欠陥、盲点に気づけるし警備に適任だと考えて、働かせてほしいという旨も綴っていました。

改善案を無視されたことを恨む

どうやらその書類を送った後も、セキュリティ、警備のシステムの欠陥、盲点は改善される事もなく、西沢裕司を警備として雇うか否かについても、向こうからアクションがなかったのです。

大学時代に、幼いころから思い描いていて、それを実現させるためだけに努力してきたのにも、実らず夢が叶わなかった挫折を経験して心に大きなダメージを負っていました。

西沢裕司は、航空がより良いものとなるようにと、良かれと思った行為を受け入れてくれずに、また挫折してしまったのです。憧れだった存在がいつしか恨みや憎悪の対象となっていったのです。

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