甲山事件とは?冤罪判決まで20年!無罪判決までの裁判の内容など

一度無罪の判決を受けたにも関わらず、報道は有罪を推定しているかのように流されていたことで、被告が追い詰められていく恐ろしさを語っています。報道というものが、時には身の毛もよだつような凶器として人間に襲い掛かってる、仕組みについて解説されています。現在(2019年5月27日)amazonでは出品されていないようです。

証言台の子どもたち―甲山事件 園児供述の構造

証言台の子どもたち―甲山事件 園児供述の構造
浜田寿美雄という方が著されたものです。著者は心理学者であり、知的障害のある子供たちの証言をどのようにとらえるかという独自の切り口で分析した本です。彼らの日常的な生活やその歩み、個性まで考慮にいれて見解を示している興味深い本です。事件の流れ、供述の分析、虚位の根と3つのタイトルに基づいた構成となっております。

記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉

記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉
特に、国家や権力の暴力性の恐ろしさが読む者にひしひしと伝わってくるような本です。また、それから波紋のように広がる社会の暴力についても述べられいます。容疑者と言われている人たちに対する偏見というもの自身をもっていたか改めて考えさせられます。普段は意識することのない、国家と言うものの怖さを身近に体験させてくれます。

松下竜一 その仕事〈20〉記憶の闇

松下竜一 その仕事〈20〉記憶の闇
先ほど紹介した「記憶の闇―甲山事件〈1974→1984〉」の著者でもある松下竜一氏による作品です。冤罪の恐ろしさを読み手に深く伝えてくる本です。人の曖昧な記憶がさらにその人を奈落の底へ促進させていく怖さがわかります。無実なのにどんどん有罪になりうる証言や物証が固まっていくという中での被告の心情が隅々まで描かれています。

冤罪とジャーナリズムの危機―浅野健一ゼミin西宮報告集

冤罪とジャーナリズムの危機―浅野健一ゼミin西宮報告集
浅野健一氏を中心にさまざまな事について語ったゼミでの記録の本です。甲山事件だけでなく松本サリン事件などにも触れています。冤罪事件をはじめ、報道について、排外主義や権力に対してのメディアの表現について、日本における死刑制度、さらにアメリカ合衆国におけるブラックリストの抹消訴訟冤罪事件などさまざまな事について語っています。

甲山事件に類似の冤罪だった犯罪

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悲惨な結果を生んだ冤罪事件は世の中にはまだまだ存在します。ここ章では、甲山の件によく似た第二の被害者を出してしまったインシデントについても述べていきます。日本には、四大冤罪事件と呼ばれるとても有名なものがあります。免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件と呼ばれています。この4つは、どれも死刑判決から無実になりました。

甲山事件に類似の冤罪事件①「免田事件」

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熊本県の祈祷師の夫と妻が殺されて彼らの娘二人が重傷を負わされたうえ、現金が強奪された事件です。その容疑者として逮捕された免田さんの名前にちなんでこう呼ばれいます。玄米を窃盗したとして、別件で逮捕して、しまいには恐ろしいことに祈祷師の殺人の容疑者として仕立て上げられてしまいました。第一審で死刑と判断されました。

自白と拷問

実は、別件逮捕の間に、拷問を交えながら免田さんが自白するように追い込んでいきました。しかし、自白は強要されたものと主張をし、さらに自身にはアリバイがあるとそれを武器に戦いました。しかし、アリバイを証明してくれる人に対しても、言動を誘導させて事実は捻じ曲げられることになります。

怪しい影

免田さんは、ある刑事が売春の手助けをしている事実を知ってしまっために犯人に仕立て上げられてしまったとも述べました。検察側のアピールした被告の逃走経路の矛盾点が指摘されるにいたり、ついに六次再審請求のすえ、無罪という判決がくだされました。31年と7か月という長い拘束期間に対して1億円ちかい保証金がでました。

甲山事件に類似の冤罪事件②「財田川事件」

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1950年に香川県で起こった事件で、闇米を扱っていた男性が殺害されて、現金1万弱とられました。殺された人は刃物でめった刺しにされた状態で、息を引き取っていました。谷口さんという方ともう一人の人物が逮捕されました。実は、この二人は「財田の鬼」とまで嫌煙されていた有名な素行の悪い人物でした。

一人は釈放

しかし、一緒に捕まった人物はアリバイがあっとなり解放されました。しかし、谷口さんはアリバイが成立しがたい状況でそれから2か月間に及ぶきつい拷問を受け、根負けして自白することになります。その結果、一審で死刑を言い渡されてしまいました。裁判では、自白は強要によるものと強く主張しました、やはりその思いは届きませんでした。

長い月日を経て無罪

35年ほど後の1984年に無罪となりました。なぜ財田川と呼ばれたかというと、再審請求の時に裁判所の文言の中で、この単語を用いて文章が表現されていたからです。谷口氏は釈放されたあとに、事件を著したものを世に発表しましたが、それ以外では特に目立った活動はしませんでした。2005年に、心不全のため生涯を閉じました。

甲山事件に類似の冤罪事件③「島田事件」

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1954年の3月10日に静岡県の島田市にある幼稚園で卒業記念の行事の際に女の子が行方知れずになりました。3日後に、大井川の南側にあたる山林で少女の遺体が発見されました。死体遺棄などの犯人として赤堀さんが捕まりました。第一審では、他の4大事件と同様に死刑判決となりました。しかし35年ほど経ち、ついに無罪の判決が出ました。

甲山事件に類似の冤罪事件④「松山事件」

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1955年に起きた事件で宮城県にある松山町が現場になります。農家が全焼してしまい、家族4人(夫、妻、長男、4女)が焼け死んでしまいました。犯行を行った人物として、斎藤さんという方が逮捕されました。まず、一審で死刑の判決が下されました。しかし、警察によって証拠となっていた血痕は捏造されいたことが発覚し、無罪になりました。

甲山事件に類似の冤罪事件⑤「幸浦事件」

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今は袋井市となっている場所で、静岡県にある幸浦村で起きた発生しました。ある家族の4人が突然神隠しにあいました。あくる年に、4人の容疑者が浮上しました。その内の一人を除いて死刑判決を受けました。しかし、無実を主張しつづけてて、最終的には4人とも無実という結果になりました。この事件では国家権力の恐ろしさがうかがえました。

苛烈な捜査

甲山事件と同様に、いや場合によってはそれ以上に警察の捜査は身の毛のよだつものでした。結果的には、警察の拷問行為や、誘導尋問をしていた点が指摘されることが要因となり、無罪を勝ち取りました。この背景には、さらにこ寒気がするような捏造があったとも言われています。なんと、高確率で容疑者の自供にデッチあげあったらしいです。

恐ろしい捏造

死体の場所を容疑者が吐いたように思われていたのですが、そこに裏があった可能性が高いと言われています。実は、もともと死体が遺棄されていた場所を警察が知っていて疑惑があります。なぜなら、遺体が掘り出される前から、その場所には目印があったということが発覚したからです。何か陰謀めいたものを感じずにはいられません。

甲山事件に類似の冤罪事件⑥「二俣事件」

1950年に起きた事件で、その町の名前にちなんでそう呼ばれいます。4人の方が亡くなったのですが、そこで容疑者として少年が疑われました。そして、逮捕され地方裁判所、高等裁判所でともに死刑という判断になりました。しかし、警察による自白が強要されていたことが発覚して、最終的に無罪となりました。

磐田郡

前述の幸浦事件の現場は磐田郡内ですが、なんとこちらの事件も同じ郡内の出来事です。同じ地域で立て続けに冤罪が発生したのはなぜなのでしょうか。そこにはなんと驚愕の事実がありました。1950年前後という戦後を迎えた時代もあってか、まだ人権に関してあまり整備されてないために起こった悲劇なのでしょうか。より詳しく迫っていきます。

紅林麻雄

静岡県の警察上の役所は警部補にあたる人物です。もともとは数々の事件を解決に導き、表彰を受けていた優秀な人物と評判のあった男でした。しかし、蓋を開けてみると多くの冤罪を生んだ冤罪製造機でした。島田、幸浦、二俣などの事件で被告人たちに対して拷問や自白を強要などを行ったと、彼の同僚からの告発があり彼の裏側が発覚しました。

甲山事件に類似の冤罪事件⑦「松川事件」

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1949年に起きた列車運行を妨害した事件です。脱線をしてしまい、不幸のなことに乗組員の3人の方が亡くなってしまいました。疑いのかかったものが、数名逮捕されましたが、裁判によって対象者全員が無罪になりました。真の犯人は、逮捕されず、また特定すらすることができなった、未解決のままになってしまったインシデントです。

国鉄三大ミステリー

松川の件だけでなく、他にも謎に包まれた事件が二つあります。松山、下山、三鷹事件と呼ばれる鉄道に関わる事件でかつ、真相がわからないままになっている3つの事件のことを、国鉄三大ミステリー事件と呼ばれています。どの事件でも痛ましいことに、死傷者を出しています。これらは、さまざまな憶測が絶えなかった事案でもあります。

甲山事件に類似の冤罪事件⑧「木間ヶ瀬事件」

千葉県の東葛飾郡にある木間ヶ瀬村に住んでいた家族4人が、被害者宅で殺されて発見されました。被害者たちの中の家長はお金を貸すことを営んでいました。そこで、警察は金銭がらみが発端となった犯行とにらんで捜査をしていきましたが、とても難航しました。

自白の誘導を主張

疑いのある人々のなかで本田さんが取り調べ中に自白をしました。しかし、彼は自白に至ったのは誘導的であったとして無罪とアピールしましたが、第一審では有罪となり、かつ死刑が下されてしまいました。東京高裁は、自白に関する証拠の価値を否定して、最終的に無罪が決定しました。

甲山事件に類似の冤罪事件⑨「山中事件」

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こちらは、殺害されてからかなりの時間が立って遺体が発見されました。山林で白骨化している死体が発見され、その頭部は陥没しているといういかにも、事件性を匂わせていました。調べた結果、死亡してから2か月弱になると判断されました。被害者も特定され、金銭問題でもめていた人物Aが逮捕されました。

犯行は認めたが

Aは他に主犯格にあたる人物にBがいると言い出しました。さらに、犯行後にBに殺されそうになったと供述した。Aの犯行における詳細の発言と、実際の状況があまりにも違うため、自白の信憑性が懸念されました。最初は死刑という判決だったのですが、そこから最終的に殺人未遂という罪状におさまりました。

この冤罪に関しては

今まで述べてきた犯罪のように、まったくの罪を犯してない被告による話ですが、死刑からの無罪という点からあげました。また、供述に関してさまざまな食い違いによって、罪状が変わった事件でもあります。罪の量刑が変わったという意味ではこれも一種の冤罪と言えるかもしれません。

甲山事件に類似の冤罪事件⑩「八海事件」

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山口県で、瓦の製造をしていた64歳になる夫婦が殺害されました。5人の容疑者が浮上し、拷問によって自白を強要されたりしました。そのなかの、一人の人物は裁判進行がしている間に亡くなりました、他の4人に関しては、死刑の判決を受けた者もいたが、最終的に4人とも無罪になりました。

甲山事件に類似の冤罪事件⑪「仁保事件」

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1954年に起きた農家の一家の惨殺事件で、6名が犠牲になりました。疑いのある人物から消去法で残った人物Fが犯人とされてしまいました。F窃盗未遂事件と起こしていました。そこで、当時でも限りなく珍しいケースで、窃盗未遂の罪で全国に指名手配犯として御触れがでました。

素行に問題のある人物ではあったが

この被告が実際に窃盗を犯していたことは事実でした。現にマンホールの蓋を盗んだ罪で、結果的には罰せられました。しかし、農家の一家の殺しの件では最初は死刑判決だったのですが、17年という年月を経て無罪になりました。ここでも、警察により異常な取り調べが行われていました。取り調べの録音テープがテレビでも公開されました。

死刑判決から無罪になった数々の事件

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現代では、警察が権力を乱用して、罪のない人が有罪になるというケースは、戦後の日本と比べると減ったかもしれません。特に1950年前後には冤罪が多発もしくは明るみなった事案が多かったと言えます。優秀な刑事と思われていた人物が、拷問や、強引な自白をさせること功績を残していたなどという、まるでドラマの中のような話もありました。

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