アレイスター・クラウリー|世紀末の魔法使いか稀代のペテン師か

多くの術を試した結果、部屋中にスネークが湧き出るエネルギーを得たとされています。たくさんの回数を重ねるたびに異次元の世界へ飛び立つことができたのです。

アレイスター・クロウリー|イタリアからの追放

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イタリアに移り住んでからもますます黒魔術研究と儀式にのめりこんでいきます。信仰する信者も集まりなかなか活発だったようです。

精力的な活動とは裏腹に、住まいのある国から追放されてしまうのです。なぜそのような仕打ちがあったのでしょうか?その経緯をみていきましょう。

性教義「リベル・サメク」

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研究と称し麻薬を使っては、会員と儀式という名の元でセックスにふけりました。性の儀式を編み出したとされます。

自分の欲求のためのものだったのか、神秘的な何かを得ることができていたのか定かではありません。ただ、師匠から指示をされれば拒否をするわけにもいかない会員たちは、相手をしていくのでした。

信徒の事故死

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信徒が儀式中に死亡したことが問題視されています。麻薬を使いかなり激しい性行為が行われていたと明かされています。精神に異常をきたす信者も多かったと言われています。

薬物による脳神経伝達の乱れから起こる精神不安定が一因ではないかと憶測が流れています。また彼はサディスティックな一面をもっており、相手の痛がる表情や仕草に興奮を覚えていたようです。

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弟子のノイバーグが鞭で打たれたと本で明かしています。男性信望者の一人が、ネコの生き血を飲用したことで、感染症にかかり命を落としています。

動物・人間のいけにえの必要性を公言

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生きている物には全て力強いパワーを秘めているとされます。パワーの状態は、大きさや状態にも異なるといいます。生あるものが息を引き取ると、魂には制御されるものない状態になります。

神秘的な思考では、最高級のエネルギーを放っているものが生贄なのです。それもピュアな子供で知能の高い男の子だとより上質と称されています。

「アレイスター・クラウリー」ゴシップ雑誌の標的に

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教会内で奔放なセックスが行われていることから、マスコミの耳に彼の情報が入り目をつけられたのです。これによって張り込みや聞き取り取材を徹底的に行われ、化けの皮が剝がれるようにガタガタと正体が暴かれます。

神聖なる場所での不可解な行動、そして命を落としてしまった事実が報道陣にしてみると、格好の獲物でした。「世界一邪悪な男」「食人鬼」などという技を伝達している師とは程遠いニックネームががつけられたのです。

アレイスター・クラウリー「ムッソリーニ」の怒りを買う

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モラルにかける言動、いかがわしい儀式などをマスコミに暴かれたことで、ムッソリーニ率いる政府を敵に回しました。怒りを買い追放と命じられ、国のトップからの指示に従うしかなかったのでした。

独自の順風満帆なルートを進んでいたかと思いきや、一気に奈落の底へと落とされてしまったのです。

アレイスター・クラウリーと占星術戦争

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まことしやかにささやかれる彼と世界大戦の関わりについてです。当時、政治には占いが必須と言われるほど、浸透していました。

真相は定かではありませんが、国を守るために力を添えたといわれていることについてご紹介します。

第二次世界大戦ドイツとフランスの魔術作戦

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占星術が流行っておりドイツでは、母国の勝利を予言している本が発売されるなど戦意高揚になっていました。占いや魔術系の本がよく使われていたのです。彼にも依頼があったため力を注いだといわれます。

現代でも悩みがあるとき、進路に困ったときに占いを参考とする人も多いかと思いますが古代でも、同じように頼っていたのですね。

アレイスター・クラウリーは魔女を集めて防衛!?

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イギリス政府の頼みで、軍勝利になるためや敵からの空爆から身を守るために魔女を集めて黒魔術を行ったという噂があります。ときには何十時間も通しで集いが行われていた様子が目撃されています。

その甲斐あってかはわかりませんが、ドイツ軍を寄せ付けないことに成功したと言われています。

チャーチルにVサインを伝授

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イギリス首相チャーチルにVサインを教えたのが彼であり、Vとはペンタゴンの魔力を使いドイツのハーケンクロイツに対抗したものでイギリスの勝利の魔術だったという説があります。

気に入ったとされ演説では、周りにいた指導者らもサインをするようになったといいます。

晩年のアレイスター・クラウリー

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イタリアから追い出された彼は、母国イギリスに帰ろうとしますが批判が凄まじく、静かな生活が望めないと察知し、フランスに身を置くことにします。

若いときよりも勢いはなくなりパワーが弱くなったように感じられる彼ですが、今までの活動で燃え尽きてしまったのでしょうか?どのように過ごしていたかをみていきましょう。

アレイスター・クラウリー極貧生活

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依存していた薬物もなかなか断ち切ることが出来ずに苦しんだようです。そして晩年金に困っていたようです。父から受け継いだ莫大な資産もすでに空となっていたため弟子や信望者などに頼って、生計を立てていました。

それでも巻タバコや高級ぶどう酒などはやめられず、自身の信仰に慕ってくれる人々を自宅に招き入れて手土産で受け取っていたか、なんとかやり繰りをして捻出していたようです。

1947年アレイスター・クラウリー死去

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イギリスの田舎町イーストサセックスで静かに72年の幕を閉じました。死因は心筋梗塞・慢性気管支炎でした。奇抜な人生を送ってきましたが、最期はゆっくりとした時間を過ごしていたようです。

アレイスター・クラウリーとタロット占い

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神秘的な才能を十分に発揮していた生前の彼が、残したものは信仰者によって引き継がれていきます。特にトートタロットは彼が編み出したものと評されています。

命は尽きてしまいましたが彼の残したものは、今も存在感を放っています。

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