主犯格の少年は仲間も共犯にするため、犯行の際1人1人にガソリンを買ってくる役や紙に火をつける役など役割を分担しました。犯行後には居酒屋で「人を焼き殺した」と自慢気に語っていたそうで、怒りさえこみ上げる事件です。主犯格の少年は「残虐で責任は重い」として無期懲役、仲間達も有罪判決を受けました。現在も服役中です。
この事件がきっかけで心霊スポットに
この事件がきっかけとなって犬鳴一帯が広く知られ、出どころはわかりませんが様々な心霊スポットとしての噂が徐々に広まったと言われています。いかに残虐な事件かわかってもらえたと思います。
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犬鳴村は本当に存在するのか
ネット上でも数々の噂が広まっているので、多くのYouTuberさんも動画をアップしています。周辺のこともわかるので見てみてもいいかもしれません。犬鳴村を探し求めて連日多くの人が訪れている場所ですが、果たして本当に存在するのでしょうか。
1989年まで存在していた
1989年といえば平成元年です。そう考えるとつい最近ですよね。現在の福岡県鞍手郡にあった当時は主に農林業が盛んに行われており、犬鳴峠の街道は日々人の出入りが多くとても賑わっていたそうです。ところが明治中頃に八幡製鉄が出来たあたりから、産業の変化に伴って徐々に廃れていきました。
犬鳴ダムによって村は沈んだ
小さな山村ながらかつては活発で賑わっていましたが、犬鳴ダムの建設によって残念ながら主要地も含め集落のほとんどが沈んでしまいました。28戸の住人達は慣れ親しんだ故郷から立ち退きを余儀なくされ、ダム下流の脇田集落や町に移転したそうです。
現在でも犬鳴という地名は存在する
- 明治22年、町村制度により周辺の村々と合併し吉川村が発足
- 昭和33年、吉川村と若宮町が対等合併し吉川村は若宮町になる
- 平成18年、若宮町と宮田町が合併し宮若市犬鳴になる
- 平成27年時点で人口は0人
旧犬鳴トンネルも怖い!
犬鳴トンネルが心霊スポットというのは割と知られてますが、新旧があるのはご存知でしょうか。今、犬鳴トンネルというと思い浮かぶのは新しい方の【新】犬鳴トンネルなので勘違いされる方も多いですが、本当に危ういのは地元の人なら誰でも知っている【旧】犬鳴トンネルの方なのです。2つのトンネルを区別するために新、旧とつけられました。