ハーメルンの笛吹き男は実在した!?最古の集団失踪事件の真相に迫る!

先に述べたように失踪事件があった当時のヨーロッパは厳しい環境にあり日々貧困化が進む中、人々は貧しい生活を強いられていました。そんな時代の中で日常的に行なわれていたのが子供の人身売買です。さらには植民地化が各地で広がっていた事から正式な手続きもなく沢山の子供たちが各地に売買されていきました。

最悪のパターンを想定すると、ある日突然、見知った子供が街から消えていたという事態も考えられます。そんな歴史の暗部とも呼べる出来事が長い時間を経て寓話化され、現代にまで語り継がれてきたのかもしれません。

ハーメルン由来の名前を持つ土地と人々

ハーメルンを離れ、植民地に買われていった子供たちはその後どのような生活を送ったのでしょうか。植民地運動のリーダーではないかとも言われている笛吹きの男と子供たちのその後を示唆する当時の資料が残っていました。

その資料によると、1280年代に新たに創建された村々にはハーメルンを思わせる姓を持つ人々や、ハーメルンにちなんだ名前が冠されている地名が多く存在していたのです。この事実は笛吹きの男が植民地運動のリーダーであったという噂を裏付ける結果となりました。

ネズミは若者の隠喩

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ネズミの大量発生について事件以前の記録には一切記されていない事からネズミの存在自体が創作だと指摘する声もあります。これについても信頼性の高い資料がのこっており、当時の劣悪な環境から逃げ出した街の若者たち=子供たちの街からの大量流失を寓話的表現に言い換えたものではないかとの見解があります。

失踪ではなく天災?

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子供たちが消えた1284年6月26日はキリスト教の祝日にあたる聖ヨハネとパウロの記念日でした。子供たちが消えた現場とされるコッペンの丘ではお祭りが開催され、キャンプファイヤーの周りを大勢の人々が囲い、歌や踊りを楽しんでいました。お祭りのメインとなる会場は丘の絶壁に建つお堂です。

また、崖の下には「悪魔の台所」として地元の人々に恐れられていた底なし沼がありました。教会のステンドグラスには「コッペンの丘にて子どもが消えうせた」との記述がある事から、この崖から転落したか、底なし沼に落ちてしまった事故死である可能性も考えられます。

ハーメルンの笛吹きの日本での認識

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誰しも一度は耳にしたことがあるであろうハーメルンの物語ですが、幼心に恐怖を感じた覚えはありませんか?歴史に史実として残るハーメルン事件の背景を知らずとも不安が残るエピソードであると言えます。

グリム童話のイメージが強い

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幼い頃に見聞きしてきた日本昔話、アンデルセン童話、グリム童話。身近な楽しみとして世代を問わずに受け継がれてきています。おおむね子供向けのお伽噺は教訓や戒めを伝えるための情操教育の手段として用いられてきました。

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