昔はほとんど前結びされていたのですが結婚し家事をする際に邪魔なので、後ろで結ぶことが主流になりました。花魁のように家事をしない異次元の世界にいる女性を演出をするため、共にする一夜は妻のように接してほしいとの願いが込められています。
脱がせやすい
この仕事はスピードも命です。多くのお客を相手し借金を返さなければいけないので、前で帯を結ぶことで脱がせやすくし再度結びやすいように考慮したとの考えも残っています。
こんなにいた!女郎屋で働く人々
異次元な豪華な囲いの中では、女郎だけでなくたくさんの人々が働いました。裏方で支えそして一緒に女郎屋を切り盛りしていた人々をご紹介します。
女郎屋の主人は楼主
現在の社長の身分となります。ただ現在と異なる点は絶対の権限を持ち状況によっては女郎の命を奪うことも許された存在です。楼主の妻や子供にも同じような強い権限を持っていたとされます。
「遣りてばばぁ」の遣り手
年配で元女郎が占めていました。主に女郎の監督役や監視を任されていて元女郎だからこそ理解できる教育や指導をしていました。誰でも高齢になったら任される役職ではなく、女郎時代にうまく楼主に取り合って交渉したようです。
若い衆
待たされているお客をなだめたり、女郎が機嫌よく仕事ができるように配慮したり、大部屋の屏風をセッティングしたりと現在では夜の街のボーイのような役割をしていました。決して年齢が若い男だけが任されていたわけではないようです。
雇い人
客室の廊下を歩き、お客に時間を告げたり部屋の行灯が消えてしまわないように定期的に油を補充したりと寝ずに動き回りました。不寝番(ねずばん)とも言われていました。
芸者・幇間
宴席を盛り上げるために重要な役割をしました。吉原の裏を住みかとし呼ばれると登場して、ひょうきんに踊ったりして盛り上げます。2人1組のペアで行動し男女の関係にならないよう配慮がされました。
女郎屋にゆかりのある芸能人・桂歌丸
笑点の司会を長年務め国民を笑いに包んだ歌丸師匠。度重なる病に倒れついに天国へ笑いを届けに逝ってしまいました。そんな師匠の生い立ちにゆかりのあるのが女郎屋なのです。
桂歌丸は女郎屋で育てられた
師匠は女郎屋の長男と地主の娘との間に誕生しますが、まだ幼いころに父親が急死します。姑との仲がこじれてしまい母親が出て行ってしまい、祖母タネに育てられます。タネは女郎屋を切り盛りしていたやり手でした。
戦時中に壊れた女郎屋を立て直す
戦後にタネ自らが修復し営業を再開します。食料や物資不足の貧しい時代でも師匠はラジオを持っておりラジオから流れる落語を聞いて育ちます。たちまち夢中になったといいます。
女郎達の慰労会で落語家になることを決意
師匠が中学2年のときに、女郎たちを集めた慰労会で生の落語を聞き、感銘を受けて落語家になることを決意します。せめて中学だけは出なさいという祖母の意思から卒業と共に弟子入りをするのです。
女郎屋にゆかりのある芸能人・松田優作
昭和の名俳優の一人の松田優作氏も複雑な生い立ちをしている一人です。実家が女郎屋を営み暮らしていたのです。どんな暮らしぶりだったのでしょうか?ご紹介します。
自宅の二階を女郎屋にする
母子家庭だった幼少期は貧しい生活を強いられていました。駄菓子などの小売業を営んでいましたが家計が潤うことはなく、空いていた二階で女郎屋を営んでいたのです。
家庭環境は悪かった
物心ついた彼は常に自宅に化粧をした女郎がいて、見知らぬ男を連れてきては傍に寄り添う姿を目にします。同じく自分の母親にも知らない男が傍にいて体を密着させているのを目撃するのです。
荒れていた子供時代
母親ではなく女になっているのを目撃しては、嫌な感情がこみあげてきますが、子供ですから対処法がわからず非行に走ります。クラスメートは彼を遠ざけ友人はいなかったそうです。
俳優の道を目指す
アメリカ留学などを得て日本に戻ったのち、俳優を目指します。子供時代に経験してきた辛さや色々な感情が経験となり多数の代表作に恵まれ、アカデミー賞も受賞する名俳優にまで昇りつめたのです。
女郎や女郎屋を描いた作品
表向きは華美で人の賑わう場所ですが女郎として働く女性たちには悲しくもその時代では仕方なかった儚い半生があることから多くの作品でテーマとして世に出されています。