それも1度や2度ではなく度々警察にお世話になるほどでした。1971年には通行人を脅迫しお金をだまし取り、恐喝罪でも逮捕。懲役2年と執行猶予3年の判決を受けていたようです。そして、翌年には暴行事件も起こします。
彼が20歳の頃のことで、罰金3万円を科せられます。そして、同年9月には再び暴行事件を起こします。素行も悪かったこともあり、仮出所もなく1975年に満期になったことで出所。その後再びトラックの運転手になりますが道路交通法違反により再び罰金を科せられます。
度重なる懲罰により、やけ酒を飲み再び暴行容疑で逮捕され、懲役10カ月の判決を受けると、彼は東京で働くことをあきらめて再び実家の波崎に戻りました。彼は父親の手伝いとしてシジミ漁を行い一生懸命働き始めるのです。
覚せい剤中毒の噂がたつ
覚醒剤に手を出しながら、犯罪に手を染めながらも彼が覚醒剤を常習していたことは、すぐには発覚しなかったようです。しかしある時、覚醒剤中毒の噂が立つこととなります。それが一つが母親の葬式の時でした。
1980年、彼のは親が子宮がんで亡くなりその葬儀でのこと、大声で騒いだり奇妙な言動をとったことで、弟とつかみ合いの喧嘩をしたそうです。それまでも、実家の家業を手伝って地あとはいえ、かなりの粗暴な言動が目立っていたようで両親には暴言を吐くほどでした。
そんなこともあったので兄弟からも見放されていたようです。また、転々とする職の中ではすし屋の面接を受けていたこともあったそうで、そちらの仕事場でも奇行が後を絶たなかったそうです。
すし屋では経験豊富な板前のように振る舞っていたようなのですが、いざ仕事になってみると態度の悪さと何とも言えない奇行が目立ち、店に多大な存在を与えていたようです。10店舗近いすし屋に面接を受け、その後数日で解雇を繰り返していました。
不気味な様子や言動を見た者からの証言では、そのころから覚醒剤中毒の可能性があるのではと噂されるようになっていったそうです。
70万で漁船を売却。幻聴に悩まされていた
母親ががんで亡くなった当時、幾度かの逮捕と出所を終えてシジミ漁を再開する軍司でしたが、ここでも問題が発生します。暴言を両親に浴びせる中、シジミ漁を行っていたそうなのですが、どうやらこの時漁船を70万円ほどで売却してしまったようなのです。
もちろん、それで生活が回るはずもなく、再び傷害事件を起こして逮捕されることになります。葬儀では弟とももめて、最終的には親兄弟から見放されることとなり、少々の現金を渡されて、金輪際家族に近づかないことを言い渡されるにまで至ります。
そして、このころから幻聴に悩まされていたと彼や家族は語っています。周りから自分の悪口がいわれていると妄想するようになり、実家の兄への電話では意味不明なことを言うようになっていたそうです。
これらの背景もあり、ついた仕事は長続きせず家族から見放されることとなっていったようです。
深川通り魔殺人事件の犯人川俣軍司を知る人の証言
度重なる犯罪行為や家族から見放された過去を持つ彼は、一時は真面目に働いている時期もあったそうで、決して悪い評判だけではなかったようです。彼が通り魔殺人を犯すまでの間のことを知る人物からの証言も紹介していきましょう。
川俣軍司を雇っていた電気店社長の証言
通り魔殺人事件を起こす1年ほど前に勤めていた電気店社長の証言は、決して彼が完全なる悪い人物ではなかったと語っています。東京から戻りたての時、自動車免許を取るまでの短期間ではありましたが、この電気店で務めている時のことです。
社長が言うには、彼は電気店で働いている間は特にトラブルを起こすことなく真面目に働いていたそうです。もちろん短気な雰囲気などはあったようでしたが、お客とのトラブルは御法度という注意も受け入れ、務めていたようなのです。
当時、通り魔事件が起きてその犯人が彼だと報道で知り、警察が電気店の方にも訪ねてきたことがあったようですが、社長はその時もまだ彼が起こした事件とは信じることができなかったといっています。
東京から帰ってから人が変わった
電気店社長のような証言もありますが、もちろん悪い噂もあったようです。というのも、彼は東京から帰ってきてまるで人が変わったようだったと語っている地元の住人もいたようです。
その人曰く、幼いころは一緒によく遊んでいたが、東京から帰ってくると人が変わっていて、全身の刺青を見せびらかして歩くようになっていたと言います。そのため、声をかける人もいなくなっていたとも証言しています。
どうやら、時期的には先述の電気店で働いていから以降の話で時系列のつじつまも会うため、相手によって態度を大きく変えていた可能性が高いようです。
川俣軍司の兄も殺人事件を起こしていた
色々な証言を聴く中で、どうやら出自も大きく関係していることもわかってきました。というのも、軍司の実兄も過去に殺人事件を起こしていたようなのです。
この証言を聴いた人は、どうすることもできない血筋地味た因縁があるように感じる人も多かったそうです。彼の兄は、通り魔事件発生の50年前ほどに勤目先の鉄工所社長を刺殺していたそうなのです。
先述した彼の生い立ちはもちろんですが、彼の兄弟の殺人事件などを聴くと血筋や過去のあらゆることが、今回の事件を形作っているものと実感することができるでしょう。