【桶川ストーカー事件】犯人と真相、ストーカー規制法の元の事件を解説!

彼に関する過去の生い立ちや経歴もまたあまり公開されていません。けれども犯行首謀者の弟が被害者女性と交際中にも、別れを告げられた後も一緒になって怒りを露わにして、家に乗り込んで理不尽で勝手な要求を強く求めたことから、かなり弟を溺愛している事が伺えます。彼もまた人と人との繋がりが薄かったのでしょう。

兄である彼も幼少期や少年時代にはきちんと母親の愛を注がれず、また父親は蒸発してしまっている為、きちんと教育が行き届いていない事が分かるのです。やはりサイコパスや歪んだ人格者、ねじ曲がった性格の持ち主を生まないためにも、幼少期や少年時代にはきちんとその子を一人の人間として、情熱や愛をもって育てていかなくてはならないのではないでしょうか?

桶川ストーカー事件の犯人③久保田祥史、伊藤嘉孝、川上聡

犯行首謀者やその兄の生い立ちや経歴についてもほとんど判明されていませんが、この三人の詳細に関する記述もかなり少ないのです。分かっていることは、裏の実業家であり、風俗店を何店舗か営んでいた犯行首謀者の元で雇われの身で従業員として働いている事や、過去に暴力団組員だったという事くらいしか判明していないのです。

また犯行首謀者の兄である小松武史と同じ職場だったという事も分かっています。恐らく類は友を呼ぶ。という様に彼らは何か精神的に問題を抱えていて、その集まりではないかと推測されます。犯行当日には興奮状態であったのか、予定であった被害者女性を怪我させるだけではなく、誤って胸部に2か所刃物で突き刺すなど、危険な人格者と考えられるのです。

桶川ストーカー事件の犯人たちの判決とその後は?

今回の事件の首謀者や犯人たちの生い立ちに関して考察していきました。やはり幼い頃の家庭環境が少なからず彼らの歪んだ人格を生み出してしまったのではないでしょうか?この後彼らは逮捕され裁判に掛けられる事になります。彼ら犯人たちに言い渡された判決はどんなものだったのでしょうか?またその後や現在はどうしているのでしょうか?

こちらの見出しでは彼らの判決結果やその後の事について詳しく解説していきます。彼らの判決結果が犯行や犯した罪から判断してふさわしい物であったか読者の皆様も考えてみてください。そして彼らがその後どんな言動をとったのかも注目して読んでみてください。尊い一人の女子大生の命が奪われた後もこの事件は続いていくのです。

桶川ストーカー事件の犯人のその後①小松和人

犯行首謀者である彼は犯行当時、実は沖縄にいたのです。これはアリバイ作りのために計画されたものでした。誤って被害者女性を怪我させるだけではなく、殺害してしまったという情報が彼の耳に入っても、彼はいたって平常であったそうです。またその翌日には生命保険に電話をしているのです。この行為から彼はこの時からある計画を企てている事が分かるのです。

彼はその翌年の1月に北海道の東にある湖で遺体となって発見されるのです。彼はこの時自身の家族宛てに手紙を1通送り、またこの時の遺体とともに発見された手紙1通には、自身の冤罪や警察やマスコミに対して誹謗中傷の文、そして自身の保険金を家族に使ってもらいたいという旨が記述されていたのです。つまり自殺の計画は事件の翌日に企てていた事がわかるのです。

桶川ストーカー事件の犯人のその後②小松武史

犯行首謀者の兄である彼が逮捕されたのは10月20日の事でした。彼は逮捕され取り調べを受けている際に、犯行首謀者の弟は自殺癖がある、死んでまう可能性があると彼の弁護士や彼の口からそう供述していたそうです。逮捕された後も主犯として容疑を掛けられていましたが、徹底して容疑を否認したり、事件に関わっていないと主張していたのです。

しかし彼は事件が起きる前から、被害者女性に脅迫やビラなどの嫌がらせをしていて、それが過激化して殺人に及んだものと裁判官は捉えて、事件から7年余りに及ぶ長い裁判の末、彼は傷害致死を主張しましたが、最終的にはそれが認められず無期懲役刑が言い渡されるのです。そのため2019年現在も彼はどこかの刑務所に収容されているのです。

桶川ストーカー事件の犯人のその後③久保田祥史、伊藤嘉孝、川上聡

初めに逮捕されたのは実行犯である久保田で、その後移動のための運転役の伊藤、連絡役の川上が逮捕されました。逮捕された後は移動役の伊藤は殺人ではなく傷害致死であると供述していました。伊藤と川上は懲役15年の禁固刑が言い渡されました。つまりこの2人は現在はもう既に服役を終えて釈放され世に出ている事になります。

そして実行犯である久保田は第一審では懲役18年の禁固刑が言い渡されましたが、これに対して殺人罪ではなく、傷害致死に取り下げてほしいと主張しましたが、最終的には本人は殺人罪で納得して、そのまま懲役18年の禁固刑が判決結果となりました。ストーカー説が囁かれているリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件に関する記事はこちらです。

桶川ストーカー事件の被害者の家族のその後は?

被害者女性の父親は事件の後に癌を患ってしまい、その時娘の死もあった事から死んでもいいと自暴自棄になっていたそうですが、その後考えを改めて娘の様に付きまとい行為や嫌がらせ行為などの、ストーカー行為に苦しむ人たちの為に、市町村の各機関や学校などに足を運び命の大切さについての講義をして回っているのです。

こうした講義では大勢の前で自分の意見を発言しなくてならず、これには緊張が付きまといますが、娘の事を想えばもっと辛い思いをしているので、これくらいの事は何でもないと思って講義をやり遂げているそうです。またストーカー行為に走る加害者たちに対して『愛したり好きになっても構わないが、他人を自分の物と思ってはいけない』と意見を述べております。

桶川ストーカー事件の犯人の家族のその後は?

犯人たちの家族や親族のその後の事については判明していません。しかし事件が起きた当時は、犯行首謀者の母親は、犯人である息子を指名手配や犯人と報道する各マスメディアに対いて、『息子は何も悪くない』と主張して強い暴言を吐いていたそうです。なぜこの時母親は明らかに悪い犯人を庇ったのでしょうか?

母親であるから息子が犯罪者や殺人犯になろうとも庇うのは当然なのかもしれませんが、母親が庇ったのは庇わないと自分にも息子から危害が及ぶのではないか、何か仕打ちに遭うのではないか。と危惧して庇うフリをしたのではないかと一部で囁かれているのです。この犯行首謀者の母親にも大きな責任があると考えるのは当然でしょう。

桶川ストーカー事件は警察の対応で防げる事件だった!

自身の私怨や逆恨みによる悪質な嫌がらせ、卑劣な脅迫行為等のストーカーが発端となり、それが行き過ぎて最終的には殺人事件までに発展してしまった今回の事件。ストーカー被害の段階で実は何度か被害者女性やその家族は警察に相談しに行っているのです。それなのになぜこの事件を防げなかったのでしょうか?

冒頭でもお話しした通りこの事件ではストーカー行為だけではなく、警察の対応や行き過ぎたマスコミの取材についてもかなり問題視されているのです。そして警察の対応がしっかりとしていれば、殺人には至らなかった、一人の女子大生の命は落とす事はなかったのです。どのように酷い対応であったか皆さんに詳細にお話ししていきます。

桶川ストーカー事件が防げたかもしれない理由①警察の怠慢さ

まず一番初めに警察に相談したのは、悪質な誹謗中傷が書かれていたビラが被害者女性の自宅周辺や最寄り駅の周辺にばら撒かれた時で、この時は被害者女性とその母親が警察に被害を受けていると相談をしに行ったのですが、ここでは適当に事情聴取をしただけで、その後も幾度も警察に相談に行くのですが、同じようにがさつな対応をされてしまうのです。

そして被害者女性の父親が務めていた会社近くにもそのビラがばら撒かれると、今度は父親が警察に相談するのですが、この時もまたしても『警察は忙しいから相手にしてる暇はない』などと言われて何度も捜査や告訴などを認めずに、怠慢な態度や対応をしてしまったのです。そんな矢先に被害者女性は殺害されてしまったのです。

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