大津いじめ事件の全貌!加害者の現在やその後の影響、学校の問題点とは

元々は彼らは仲が良く遊んでいたようです。よくゲームで遊んでいたり、琵琶湖やUSJなどにも言っていた中であり中の良い友達だったということが分かりました。しかし、次第にエスカレートしていきます。

rawpixel / Pixabay

というのも、遊びの中には次第にプロレスやボクシングごっこなどが入ってくるようになり、徐々にエスカレートして暴力気味に増長していったのです。もちろん、今回の被害者は加害者側にそのような暴力は行っていませんでしたが、一方的にしていたと言います。

しかし、加害者側にとっては以前よりも過剰なコミュニケーションの様にはなったが嫌がっているとは思わず、単なる遊びだという認識のまま遊んでいたというのです。

そして、粘着テープでの拘束や蜂の滋賀死骸を食べさせるという行為も、エンタテイメントの一種だと考えていたと主張しました。

しかし、今回の自殺との関係性をより詳しく聞き出すために詳しい尋問が行われると、「覚えていない」という答えも頻繁に行い、どこか反省の念が薄いようにも感じられたといわれています。

被害者男子生徒を「6年間忘れたことはなかった」

StockSnap / Pixabay

初公判から6年後平成29年12月14日に行われた訴訟では、残された家族から加害者側・学校側合計12人への尋問が行われました。その尋問内で、被害者男子生徒の父親は加害者側にとある質問をします。

「息子に謝罪の気持ちを持ったことはあるか」と問いかけたのです。そこに加害者側の生徒の1人は生きていたらもう一度話し謝罪を行いたい旨を主張し、「6年間忘れたことはなかった」と返答しています。

qimono / Pixabay

また、一人は話し合って何に悩んでいたのかについて聞きたいととも述べていますが、もう一人は「ない」と答えており反省をしているのか不明な態度を取っています。

加害者2人に3570万の賠償命令

geralt / Pixabay

尋問を繰り返し裁判で苦だった判決についても調べていきましょう。判決が下ったのは2019年20月19日のことです。いじめと自殺の因果関係を調、そこに関係性があることが認定されました。

それにより、加害者男子に2名に対して3570万円もの賠償金を命じました。残る一人については、事件の関係の度合いが少ないとみられ賠償責任はなかったのですが、その後その中の内一名が大阪高裁で控訴を行っています。

大津いじめ事件の加害者のその後と現在

Capri23auto / Pixabay

同級生の暴力が発端となった今回の事件は、異例の学校側の隠ぺいなど異例の事態を起こしながらも判決が下り、正式に処罰が課せられました。当然加害者たちもその後すぐに平穏な生活に戻れたとは思えませんが、彼らはその後どうなったのでしょうか。

木村束麿と山田晃也は京都に転校

Free-Photos / Pixabay

暴力行為を働いていた生徒の名前は、木村束麿呂、山田晃也、小網健智の3人になります。そのうち、木村と山田の両名に関しては、京都に転校したということが分かっているようです。

他の都道府県であれば少しは通常の生活に戻れると考えたのかもしれませんが、すでに両名の名前は京都でも拡散され知れ渡っており、安寧の生活という訳には行かなかったようです。そこで木村の方は改名という手段を取ったとの噂もあります。

DariuszSankowski / Pixabay

其れでなくとも変わった名前であり目立つ名前だったので、改名をして暮らしていたといわれています。しかし、名前だけでなく写真まで出回っているので安心した生活は遅れていなかったのでしょう。別の噂では、どうやら海外へ逃げたとの噂もあります。

山田も同様に京都への転校を果たしていますが、その後の噂は特にないようです。逃げて生活をしているといった事もないので、どこかで生活をしているのでしょう。

小網健智は転校しなかった

congerdesign / Pixabay

残りの加害者である小網の方は転校先でも問題を起こすほど不真面目な生活を送っていたようで、2浪してしまったといわれています。

彼に関しては他の二人の様に転校はしませんでした。しかし、住所が特定されたことで結局は、北九州に転校することとなります。

Foundry / Pixabay

転校先は北九州予備校山口校との噂があり、寮生活の必要があるために、周囲のメンバーから腫れもの扱いを受けるなどの噂もあり、手が付けられないほど暴れることもあるとうわさされています。

事件後も教師への暴行事件を起こしていた

stevepb / Pixabay

三者それぞれ、転校先でも素行の悪さや逃避行動が見て取れる中、どちらがやったかまでは不明ですが、再び暴行事件を起こしたようです。内容は、女性教師に全治一カ月にも及ぶ怪我をわせたという物でした。

この怪我の騒動は、当時自殺事件の捜査の途中だったこともあり、訴訟への影響が考えられ、その結果大事にしないように取り計らいが行われたそうです。ここでも事件を隠ぺいしようと動いたとみられています。

Tumisu / Pixabay

しかし、もちろんどのようなことであれ事件は事件です。警察へと被害届が出されたことで事件発覚となりました。

NEXT 大津いじめ事件加害者の親の反応と影響