廃墟となった遊園地65ヶ所まとめ!日本の廃墟遊園地から世界のものまで

アメリカのディズニーのジ・アメリカン・アドベンチャーとは特に関係があるわけではありません。遊園地が湖周辺にあるのはよくあるケースですが、こちもダービーシャー、シプリー湖のあたりに居を構えました。もともとが石炭採掘場でしたが、そこにアメリカのインディアンとカウボーイをテーマにした遊園地を建設しました。

創業者が詐欺をした

10週間という短期間で破綻に追い込まれました。創業者のPeter Kellardの詐欺が発覚し逮捕されて、閉園という運びになりました。それから他の人物がリニューアルして運営しましたが、紆余曲折を経て再び閉園となりました。ホテルやオフィスが入るなどさまざまな計画が出ていますが建設が進んでいないようで跡地は廃墟のままです。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑨キャメロット・テーマパーク(イギリス)

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ランカシャー地方のチョーリー近郊にあったテーマーパークで、イングランドでも特に有名な伝説として知られるアーサー王のお話の世界観をイメージした造りになっていました。こちらは、経営が困難な状態に陥り2012年にクローズとなりました。不動産業の人々によって何度か建物を造る計画があがりましたが、頓挫してしまっています。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑩シュプレーパーク(ドイツ)

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1969年に開かれましたが、当時としては東ドイツで唯一の遊園地として名を馳せていました。場所は、その時代の東ドイツの中心都市でもあったベルリンにありました。東西ドイツが統一した後は、より西欧的な遊具が導入されていきました。しかし、懐事情は芳しくなく負債が増えていき、駐車スペースが十分でないことが原因で客が減少しました。

支配人の逃亡

ついに支配人が破産宣告を受けることになり、家族とスタッフ、さらに6つの遊具を持ち去ってペルーに逃げていきました。2002年に遊園地の方は閉鎖されましたが、支配人はペルーのリマで再度テーマパークを構想しましたが失敗し、しかも遊具にコカインを隠してたとして有罪の判決を受けました。

見学ツアーがある

支配人は夢を売るどころか悪夢をばら撒いたとんでもない結末を迎えました。シュプレーパークはもちろんほったらかしの状態になり、廃墟となり、さらに原則立ち入り禁止となっております。しかし、現在は遊園地内部を見学できるツアーが定期的に開催されています。

幽霊観覧車

都市伝説のような広がりを見せている話で、ここの観覧車は人が操作しているわけでもないのに勝手に動き出すという恐ろしい現象が起きます。単なる風のせいではという声もあがったのですが、無風の時でも動いたという証言があり、真相は謎に包まれています。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑪ダディランド(ベルギー)

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名前の通り「ダディゼーレ」という場所にあるアミューズメントパークでした。1949年に開園されてから2000年初頭までの50年ほど運営されていました。しかしウォータースライダーに似た乗り物で大事故が起きてしまい、ある少年が腕を失ってしまうと惨事が発生しました。閉鎖に至った理由は、その一軒が大きいのではないと囁かれいます。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑫放射能に侵された遊園地(ウクライナ)

チェルノブイリ原発事故によって、一度としてオープンしないまま世の中から置き去りにされた地です。キエフからおおよそ100キロ離れたプリチャピ市にあります。観覧車などさまざまな遊具が、まさに廃墟然として佇んいて、世の末を思わせる雰囲気を醸し出しています。減税も放射能における危険な区域でもあり、立ち寄る人はあまりいません。

廃墟になった海外の遊園地19選~アジア編~

日本からも近い、中国や韓国などのアジアの取り壊しになったテーマパークについてご紹介していきます。東南アジアからは、代表してフィリピンのアミューズメントパークについて伝えていきます。実は、ここで紹介する中には活動を止めたわけではないけれど、廃墟に近いような状態のものもあります。

アジアの廃墟遊園地⑬ワンダーランド・アミューズメント・パーク(中国)

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日の目をみないまま、計画の途中で頓挫してしまった夢の国がありました。アジアで最大のアミューズメントパークという触れ込みで開発が進められていたもので、建造物はディズニーワールドのようでした。しかし、ビジネス上のトラブルでもたびたびある土地の買収において、うまくいかなくなってしまい中断してしまいました。

元はトウモロコシ畑だった

2013年には建物のほとんどが取り壊されましたが、巨大な西洋風の城が依然として廃墟の中に鎮座している様はなんとも言えない異様さを醸し出していたそうです。廃墟の傾向としては、代表的な建物や大きなものが取り残されるパターンがしばしば見受けられます。また、ここではとうもろこし畑を耕す人々がちらほら目撃されるようです。

アジアの廃墟遊園地⑭歓笑天地(中国)

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万江大道の南側にロケートしており、広東省東莞市にできたショッピングモール(新華南MALL)内にありました。ドバイ・モールが出現するまでは、世界で一番規模の大きいショッピングモールでした。しかし、経営状態は良くなく、テナント代も高く参入してくるところが少なかったので、空きスペースが目立っていました。

人が集まらないため

実際20パーセントしかお店が入っていないという状態でかなり閑散としていました。遊園地には、ゴーカートやボート、ゴンドラなどの乗り物が容易されていますが、廃墟と化しています。ただし、ショッピングモール自体は活動はしているので、実際には廃墟とは呼べません。

アジアの廃墟遊園地⑮エンコアガーデン(台湾)

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台中市の東に位置し、魅力的なアトラクションが豊富だったこともあり、時には100万人も動員があるほど絶大な人気がありました。しかし、2000人もの人々が犠牲になったいたましい地震が起きてしまったおかげで、活気に影響を与えました。さらに2008年には競合の遊園地が進出してきたためにあえなく閉園して、廃れてしまいました。

アジアの廃墟遊園地⑯ヨンマランド(韓国)

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国の中心のソウル市の中浪区にある小さいアミューズメント施設です。ロッテワールドが進出してきたために、衰退し2011年にクローズとなりました。しかし、その後もアーティストのミュージックビデオの撮影などで人気のある廃墟となっております。5000ウォンほど払えば入場でき、すでに廃墟ビジネスとして成り立っている場所です。

アジアの廃墟遊園地⑰オクポランド(韓国)

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遊園地の場合何か事故が起きて閉鎖になるケースがありますが、まさにオクポランドもそうです。巨済島にある、同名の市である巨済市近郊にあるオクポにあったところです。子供が遊具から落下してしまう事故が発生してしまい廃業に追い込まれました。

アジアの廃墟遊園地⑱万景台遊園地(北朝鮮)

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平壌郊外のマンギョンデ地区にあり、ミニ鉄道をはじめ、ジェットコースターやメリーゴーランド、波のあるプールまでありました。実は、今もなお運営はされいる遊園地なのですが、整備などが杜撰にされていて、荒廃しているように見えます。金正恩が2012年に訪れた時には、あまりのひどさに大激怒したというエピソードがあります。

アジアの廃墟遊園地⑲ファンタジーワールド(フィリピン)

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さかのぼること2000年の初めに、マニラから車で4時間ほど行ったところに、まさに幻想的なテーマパークが造られようとしていました。しかし、運営側の財政が困窮してしまい、オープンを迎えることができないまま中止となってしまいました。

日本人がオーナーだった

かわいい出で立ちの数々のアトラクションは、誰にも遊んでもらえることがないまま、ただただ老いていくだけです。しかし、裏を返すと廃墟マニアにはとても喜ばれる不気味なオーラで溢れかえっています。それに目をつけてか、入場料さえ払えば立ち入って鑑賞することができます。現在は、日本人に変わり別の会社が管理してます。

なぜ廃墟が生まれるのか?

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どのようにして荒廃した遊園地が出来上がってしまうのでしょうか?ここではその原因として考えられることをいくつかあげて考察していきます。廃れてしまった場所では、事件が起きたからなのか、それとも商売を始めたとしてもすぐ廃れてしまう何かがあるのか、はたして大概の理由はどのようなものがるのでしょうか。

大概は経営破綻によるもの

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特に遊園地のような大規模な土地を売りに出したとしてもなかなか買い手がつかないケースが多いです。中には、後述で出てくるようにアメリカのロッキーポイントのように一部だけを買い取って、リニューアルしてオープンするケースもあります。ただし、買い取られていない土地については封鎖状態というケースがあります。

フェンスを導入しさえすれば

もちろん経営破綻だけでなく、オーナーが亡くなって計画が頓挫してしまうケースもありますが、どちらにしても解体作業をするにしてもかなり莫大な費用がかかってしまうため、とりあえずフェンスなどの策を設けて放置した方がぐっと費用が抑えられるため、そのまま内部のメンテをしないで廃墟になるパターンも多いようです。

最古の遊園地

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日本において最古の遊園地となっているのは、一度解体はされましたが、浅草の「花やしき」を挙げる方も多いようです。もしくは、それより先駆けとなるものには「宝塚新温泉」を挙げる声や、途絶えることなく継続しているという意味では「ひらかたパーク」があげられます。それでは、世界的に見るとどこが候補に挙がるでしょうか。

世界においては諸説ある

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やはりどこまでを持って遊園地とするという話になると定義などの捉え方が賛否両論になってきます。濃厚なのは、約350年近く前のロンドンの「ボクスホール・ガーデンズ」があります。庭園というくくりですが、数々の催し物があり遊園地の起源と唱える方々がいます。

他には

古さで言えば、1583年に出現したデンマークの「デュアルハウスバッケン」が候補にあがります。補足ですが、世界初の観覧車は「フェリスの車輪」というもので、こちらに関しては1893年のシカゴ万博で初めて世の中に披露されることになりました。

廃墟マニア必見!廃墟となった遊園地

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数々の廃墟のスタイルがあります、遊園地という特殊な場所の場合は、楽しい場所やファンタジー的な要素があるだけに荒廃している情景はなんとも言えない気分になります。それは、哀愁からなのか、ノスタルジックな果てにある虚無感からなのか、時には滑稽さがもつ怖さからなのか、人それぞれの心に訴えかける何かが内包しています。

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