伊勢崎市同居女性餓死事件とは?事件のその後と犯人の金井幸夫の生い立ちも

6畳と4畳半の2部屋しかない年季の入った狭いトタン屋根の木造住宅であったのですが、今はどうなっているのかさえも不明です。

今にも崩れそうな家屋だったことから取り壊され、新しい住宅地となっている可能性も否めません。もし現状があったとしても、壮絶な出来事がなされた現場には誰もが足が遠くのではないでしょうか。

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気持ちよく過ごせる空間ではないことは確かでしょう。

伊勢崎市同居女性餓死事件主犯の金井幸夫の生い立ち

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長男として生誕した彼は、甘やかされて育てられる一方で、近隣住宅にまで聞こえるほどの大きな声で泣き叫び、両親からの虐待を受けていたとされる複雑な環境でした。

結果、精神不安定な男が形成されたのではないかとされています。一体どのような幼少期を過ごしていたでしょうか。みていきましょう。

金井幸夫の両親はまともに仕事をしていなかった

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狭い住宅の中に、両親・姉・妹の5人の家族住まいでした。父親は難聴ぎみであり競輪好きだったことから、ほとんどをギャンブルに使ってしまいます。

母親はというと、一定作業を行う工場に勤めておりましたが長続きはせずに辞めてしまっています。お金を家庭に入れない旦那と家計の危機を感じない妻であったため非常に貧しい生活でありました。

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両親ともに仕事が長続きせず、社会から疎遠となっており独特のグループを作り上げていったのです。幸夫が特別学級へ入っていますが、両親も知的な発達遅れがあったとされます。

金井幸夫は母親から溺愛と暴力を受けて育った

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待望の長男であったことでしょう。べたべた甘えさせる生活をさせた反面、近所に泣き声がこだまするほどの酷い虐待もしていたとされます。教育に関して一貫性がなく、戸惑っていたようです。

親の気分によって対応が異なったのでしょう。そんな幼少期を過ごしていますので、何をしたらいけないことなのか判別できなかったのです。自分の感情を出せず内に秘めてしまう少年になってしまったのでした。

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後に、弱い者に対しては絶対的な力を見せつけ支配していくこととなってしまうのです。

金井幸夫は小さい子をいじめ、こき使っていた

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少なからず親からの乱暴で、心に傷を負っていたことでしょう。心の歪みとして表れ始めることとなります。不安定な教育を受けてきた彼は、異質な雰囲気を放っていました。

人見知りをし、感情を見せない子供でありましたが、両親からの虐待で心を閉ざしてしまっていた可能性が高いでしょう。

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自分よりも弱い子を見つけては、いじめともとれる、からかいをしつつ服従させ、こきを使う真似事をしていました。そうやって主従関係をつくることで、自分を保っていたとされます。

金井幸夫は学校側の判断で長谷川美根子と同じ特殊学級へ

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負の連鎖のような家庭では、しっかりと勉強を行える環境に適しておりませんでした。普通学級にいてもクラスメイトと一緒に勉学をついていくことが難と学校側からは認識されています。

本人に合った教養をという判断が下り、特殊学級に入っています。後の被害者である彼女も同じクラスの同級生でありました。

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大人たちの考慮から、最善が尽くされたと思うのもつかの間、不登校気味で母や姉への暴力を振るうようになってしまったのです。このときに知り合っていなかったら未来は明るいものとなっていたことでしょう。

伊勢崎市同居女性餓死事件の被害者・長谷川三根子について

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どうして2度も恐怖の館へ自らの足で向かってしまったのでしょうか。もし最初の家でだけでやめおけば、彼女の未来は変わっていたのかもしれません。

幸せな家庭を築きあげていた妻であり母が選択してしまった道なりについて考察します。

長谷川三根子は「普通学級でもいけたかも」という担任の証言

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複雑な計算式や難し漢字は苦手だったようですが、読み書きはできたようです。当時の受け持った教師によると、通常のクラスでも適応できたのではないかと語っています。

僅か7人という少人数のクラスの中では親密となっていくでしょう。幸夫はあまり学校へ行っていなかったようですが、数少ないクラスメイトとして仲良くなっていたことでしょう。

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今は、すでに姿なき仏となった彼女からは聞くことができません。なぜ男の家へ行ってしまったのか誰もが疑問と思っていることであります。

心の中で、通常の人よりも理解が悪いというコンプレックスがあったのでしょうか。それが同じような境遇である男と一緒にいる力を入れなくても楽に過ごせたのかもしれません。

長谷川三根子は就職後、幸せな家庭を作りあげていた

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中学を卒業してからは、工場で真面目に働きその後結婚しています。誠実な優しい夫と群馬県邑楽郡で女児に恵まれ、表向きは幸せに暮らしていました。

夫は、彼女の知的不足のことは全く気にしておらず、純粋な性格に惚れていたようです。一見絵に描いたような幸せ家族像でありましたが、他の場へ行こうと思ってしまうほど、彼女は疲れていたのでしょうか?

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知的な部分は、脳の機能部分ですから、自分ではどうすることもできないものです。健常者との見えない壁に苦しんでいたのかもしれません。通話料金30万という高額が、物語っているともいえます。

同じ境遇の同志であれば、分かり合えるものはあると思い、家を飛び出したのでしょうか。亡き口は語ることは二度とありませんが、少なからず現状にわだかまりを感じていたのかもしれません。

金井幸夫は姉と近親相姦していた?

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両親から向けられた乱暴は、息子に大きな影響を及ぼしています。歪んだ思考、痛みつけられたことによる苦しみは、後に他の相手へ移っていきました。そのターゲットが姉でした。

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