勝又拓哉は冤罪?栃木小1殺害事件の真相と犯人の生い立ちと現在とは

また、卒業アルバムの写真が某スケート選手に似ていると話題になり、選手のファンが激怒するという一幕も。

しかし裁判の中で自身を『森の妖精』と称したり、今いる場所を問われると『トイレ』と答えるなど、一時しのぎの意味不明な発言で場を混乱させました。その情けない姿に、一部のファンは幻滅したといいます。

2つの凶悪殺人事件を起こした山地悠紀夫

2000年に17歳という若さで母親を殺害、その5年後には大阪姉妹殺害事件を起こしている山地悠紀夫。

山地が送検される際の映像が報道されると、その鋭い眼光と整った顔立ちに「イケメン」という単語がネットを飛び交いました。

中には「犯罪者の中で山地悠紀夫が一番かっこいい」「実況見分をしている姿が儚げで美しかった」とまで言う人もおり、また、中学生の頃の写真には「イケメンというより美少年」という声も。

そんなイケメン・山地には、彼を支えたいと思う女性ファンが多くいます。

彼の生い立ちに不安定な家庭環境やいじめがあったことを受け、その境遇に同情した女性たちが拘置所への差し入れを熱望したこともありました。

もちろん他人からの差し入れは許可されていませんが、女性たちの母性本能をくすぐりそのような現象を起こした山地は、当時非常にセンセーショナルな存在でした。

イケメンと呼ばれた山地悠紀夫。彼の関係している事件は、こちらの記事をご覧ください。

ジェレミー・ミークス

最後は海外から、日本では考えられないようなイケメン犯罪者をご紹介します。ジェレミー・ミークスという男性は元々ギャングであり、違法な銃販売など6件の罪によってFBIに逮捕された重犯罪者でした。

しかし逮捕により彼の顔写真が世に出ると一転、そのイケメンさに世間は驚き、なんと最終的にはファッションモデルにまでなってしまったのです。

しかも出所後2年半の間に、それまで支えてくれた妻を捨て、不倫の末イギリスアパレル界の超セレブ、クロエ・グリーンと交際し、逆玉の輿に乗っています。

グリーン家の総資産は5,000億円超。その娘と交際しているジェレミーの生活は、ポルシェを乗り回し、150億円のヨットでバカンスを楽しみ、五つ星ホテルに宿泊するなど悠々自適なものとなっています。

イケメンというだけで犯罪者から超セレブにまで転身してしまったジェレミー・ミークス。今後、彼がどうなっていくのか、全米が見守っています。

勝又拓哉の生い立ちや経歴は?

謎の多いこの事件。その容疑者である勝又拓哉は、どのよう育ってきたのでしょうか。ここでは、彼の幼少期から事件が起こるまでの半生を解説します。

勝又拓哉の生い立ち①台湾で生まれ祖父母と育つ

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勝又拓哉は1982年、台湾に生まれています。両親も台湾人ですが物心つく頃には両親は離婚。母親は美容学校へ通うために来日しており、0歳から12歳までは台湾の北部に位置する新北市で祖父母に育てられました。

イケメンと呼ばれるほど顔が整っていたため、台湾在住時には女子と交際、友達も沢山おり非常に充実した毎日を送っています。

しかし家庭については「台湾ではたらい回しにされていた」と語り、複雑であったと推察されます。

勝又拓哉の生い立ち②母親の再婚がきっかけで日本へ

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勝又拓哉は小学校6年生の時に母親の再婚をきっかけとして日本へ渡ります。再婚相手は連れ子である勝又拓哉を煙たがりましたが、母親の兄が勝又拓哉を連れて台湾から来日、そのまま居ついてしまったといいます。

そして1992年頃からは、なんと今回の事件の連れ去り現場付近に住んでいました。

勝又拓哉は母親とその再婚相手、そして連れ子である弟妹達と暮らしており、小学校も被害者と同じ、今市市立(現・日光市立)大沢小学校へ編入。そのため、今回の事件に関して土地勘もあったと言えます。

勝又拓哉の生い立ち③日本語が不自由でいじめにあっていた

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来日後は日本の小学校へ編入。そこでは台湾名のチェン・ファンチェンを名乗り、もちろん日本語も不自由でした。以下は勝又拓哉の小学校卒業時の文集です。

「日本語の勉強を集中してお友達もできて、とてもよかった」(引用:SankeiBiz)

このように、当時の彼の日本語には少々違和感を覚えます。同級生によると、教室の隅でポツンとしていることが多く、周りとはジェスチャーを交えた会話だったといいます。

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その結果、勉強にもついていけずいじめにもあい、不登校気味になっていきます。また、小学校を卒業後一度台湾へ戻りますが、14歳の夏に再度来日。今市市立大沢中学校へ転入します。

事件の関係者は、この頃のいじめ体験が母校への恨みとなり、今回大沢小の生徒を狙うこととなったのではないかと語りました。

勝又拓哉の生い立ち④中学卒業後就職するもすぐに退職

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中学校は途中で転校した勝又拓哉。今市市立大沢中学校から、宇都宮市内の中学校へ転校しました。

そして中学卒業後はすぐに就職。日光市内の旅館で布団係をしますが、その仕事はおよそ1週間で解雇となっています。彼はインターネットが趣味であったせいで朝が非常に苦手であり、遅刻の常習犯だったといいます。

その後はコンビニエンスストアでのアルバイトや派遣会社に登録しますが長続きせず、無職でぶらぶらとする生活を送ることとなります。

勝又拓哉はイケメンだった!被害者や世間の反応は?

前述した通り、逮捕時に勝又拓哉の小中学生時代の写真がメディアに流れ出すと、視聴者からは「イケメン」というワードが多く飛び出します。

某女性芸能人や某韓流俳優に似ている、爽やか系イケメン…など、そのイケメン具合に人々はどよめきました。台湾出身であることから、日本人離れした顔立ちもイケメンといわれる要因の1つだったと考えられます。

捜査員に家から連行される際の動画でも「寝起きなのに整った顔をしている」という声が見られ、静止画、動画共にイケメンであった、とネットは騒然とします。

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また、被害者である有希さんは殺害される2週間前、「目の綺麗なお兄さんと待ち合わせをしている」と話したと言い、これが勝又拓哉のことだとすれば、被害者から見ても綺麗な顔立ちだったことがうかがえます。

そして事件後、近所の住人がインタビューに応じた際も「勝又拓哉はイケメンで彼女がいそうな人だった」と回答。これらのことから、彼のイケメン具合は本物だったといえます。

勝又拓哉の生い立ち⑤母親と偽ブランド品を販売し始めた

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清掃業を解雇となった勝又拓哉は、そこから母親と偽ブランド品を売り歩くようになります。この時母親は金銭トラブルにより既に離婚しており、2人を咎める家族はいませんでした。

2人はフリーマーケットや骨董市を中心に販売していましたが、偽物を売っていると分かると規約違反で出入り禁止となり、段々と商品を売れる場は減っていきました。

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そのため、途中からは車に商品を積み、客のところに出向き販売するという手段を取っていました。収入は月に2万円程度。ただ、この仕事のやり方も暴力団関係者に見つかり、トラブルに発展。

また2000年頃には母の再婚相手の両親との関係が悪化。そのため、鹿沼市西沢町に1人で移り住んでいます。

2009年、27歳の時に日本国籍を取得し日本に帰化。逮捕当時は32歳で、この頃にはもう勝又拓哉は引きこもり状態でした。

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