「えたひにん」とは?江戸時代の身分制度の概要と苗字や地域の特徴まとめ

ケチだったかは、低い身分だったため限られた職業しかできませんでした。そのためたくさんのお金は持っていなかったようです。

肉体労働や日によってバラバラの仕事量だったことから、普段から倹約した生活を心がけていたと思われます。一方でお金を納めて身分をあげようとして余分なお金を使わないようしている行動がケチとして映ったともあります。

えたひにんの見た目②見た目についての根拠は全くない

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科学的な根拠やデータはないので、見た目はこういう漢字ですという規則的な証拠はないのです。誰もが同じ人間であり、DNAを受け継いで生を受けます。

人間の見た目というのは両親や先祖から伝わっている遺伝子です。誕生した場所や環境で、目が一重なのに急にパッチリ二重になれるかと言ったら難しいことでしょう。

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平民や武士の中でも背の低い人たちはごまんといたことでしょう。有名人の方で自分の生い立ちを公表している人達がいますが、それぞれ違う顔つきで身長もまばらです。ですから見た目は関係ないでしょう。

えたひにんの見分け方③先祖の職業

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食べていくため生きていくために仕事は重要です。現在では職のレパートリーも多く軽い気持ちで転職もできますが、物のない時代ではそう簡単には変更できませんでした。

そのため代々継いでいる稼業で働いたりすることが多かったのです。その点では見分ける要点にはなりやすいと言えます。どんな業種があるでしょうか?みていきましょう。

えたひにんの職業①屠畜業

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食肉に携わる職に就いていることが多いです。これには昔から肉に精通していたためと言われます。悲しいことに時代が変わっても差別のような対応は残っています。

一生懸命働いている人に対し、悪口のようなことを書き綴った紙を精肉工場に置く冷酷な人物もいたようでした。

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そういった出来事が相次いだため、自分の職場を近所の人に公表しない人もいるようです。悪いことをして稼いでいるわけでもなく、きちんと真っ当に働き賃金を得ているのに差別というものは悲しいものです。

えたひにんの職業②葬儀関係

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昔から処刑の補助役を任されていたことから、始めた人がいるのでしょう。起業しようと思いついた人がいなければ私たちは困ってしまいます。

最期の旅たちの手助けをしてくれる業者ですから、人の役に立っている立派な仕事といえるのではないでしょうか。過去に、葬儀のおくりびとをテーマにした映画がアカデミーショーを受賞したように、多くの注目を浴びている業者とうことがうかがえます。

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人は必ずいつかは死を経験します。現代でも多くの会社が運営しており、切っても切り離せない重要な職業といえるでしょう。

えたひにんの職業③汚物処理

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率先してやりたがらない業種を得て生計を立てていることは、気苦労も多いでしょう。肉体的にも辛いこともあるでしょうが、それを職に選ぶということは責任感の強さを感じます。

昔は、その生業しかなく仕方なく働いていたのかもしれませんが、現在も続いているということが素晴らしい功績であり、誰も名乗り出る人がいなければ日本は汚れて不衛生な国として世界からは認知されることでしょう。

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どこを歩いても綺麗で衛生的にも安全な国であることは、彼らが成し遂げている偉業ともいえるでしょう。人が好まない職を行う人々には、それなりの収入が発生していたのです。

えたひにんの多い地域

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昔は住む場所を規制されていたため、足場の悪い沼地や川沿い付近、日当たりの悪い場所に住居を構えてました。

苗字や見た目で判別するよりも、一度住んでしまうとなかなか簡単に引っ越すことができないため、住んでいた場所の方が明らかだったようです。今でも名残はあるといい比較的関西に多くとされます。

えたひにんの多い地域①福岡

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もっとも世帯数が多い地域と言われています。県の市内全体で数えると、606区画が現在も存在していると言われています。なぜトップに君臨しているかというと2つの起源があるとされています。

一つ目は太宰府が存在している重要な地域であるため、治安を維持するために管理人が必要だったという諸説と、革工業が盛んな地域が発端となっているためという説があります。

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主に卑弥呼率いる邪馬台国の時代に、中国や朝鮮などから流れて移住した人物が多かったことが一因とされています。

えたひにんの多い地域②広島

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現在414〜422区画のえたひにん地域があると言われています。理由は戦争にありました。過去に軍港が設置されていたことから、多くの兵が休息しに陸地を歩いていたようです。

体力をつけるためにも戦闘モードに入るためにも、兵士たちには肉を食べさせたようです。そのため大量の収める肉が必要でした。軍訓練施設の界隈には、たくさんの処理施設は建築されたと言います。

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精肉するために役を任されたのは、当時から生業としていた彼らが抜擢されたのです。そんな背景があったことから彼らの永住の地として多く暮らしている地域になったようです。

えたひにんの多い地域③愛媛

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400区画あるだろうと言われています。主にこの地域の人々は海に沿った区域に住居を設け暮らしていました。四国地方に位置している4県のうち、一番えたひにん率の高い県です。

なぜ川や沼ではなく、海の近くに住んでいたかといいますと、今も真相解明中ではありますが、海を渡り歩き略奪行為を繰り返したとされる海賊を寄せ付けない番人のような役割を命じていたのではないかと諸説あります。

えたひにんの多い地域④京都

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古都とも呼ぶことがあるように昔には都がありました。国の王様である天皇も住居を構えておりました。

都だったため当然人口も多く集まっており、葬儀関係の仕事に携わるえたひにんが多く住まいを構えたことが現在も引き継がれているとされます。当時では葬儀準備をするえたひにんが集まった村もあったようです。

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江戸の時代にもその名残は消えず、エタ村と名前を変更し住まわせていました。このころの彼らは職も就き、平民らが嫌がる生業を行っていたことから、それほど貧しい生活ではありませんでした。

ではなぜ貧困の印象が根付いてしまったかと言いますと、身分差別を撤回した後に、革製品の職も停止となってしまったことで定職を失ってしまった人々が溢れたのです。そこから生活は困窮し、その日暮らしのような生活が続きます。

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