【三島由紀夫事件】三島由紀夫の切腹から浮かぶ思想と事件の全貌

世界的な文章家でありながら、肉体改造に目覚め自身の筋肉を常に強くしておりました。45歳ではありましたが、30歳代の体つきと評されます。

逞しい姿態を手に入れたのですが密かに抱えるコンプレックスがあったのです。壮絶な死を遂げた彼のプロフィールを紹介していきます。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫①1925年東京に生まれる

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現在の新宿区四谷に長男として誕生しました。大正14年の痛いほどの寒さが厳しい1月の14日のことでした。本名を平岡公威といいます。

名前の由来は祖父の恩人であった工学者のようになってほしいという願いを込めて、同じ公威をもらったのでした。地区では一番大きな屋敷であり祖父と父が最難関である東大卒というエリートな家庭で育ちます。

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後に、自身も同じ大学校に入学し世界的有名な地位を得ることとなるのです。父方の祖父母と同居をしており祖母の夏子は家の中でも絶対的な権限をもっておりました。絵に描いたようなエリート家系で育ちます。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫②厳格な祖母に育てられる

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生まれて間もないときから夏子の手によって育てられています。母親が通常は面倒を見ますが、ヒステリックな性格をもっていた彼女に逆らえず、授乳のときだけ我が子を抱き世話をしたのです。

男の子であれば活発に動き回る遊びであったり、ミニカーや鉄砲のような音が出る玩具を好みますが、一切禁止とし、徹底した育児環境を作ります。遊び相手は女の子選んでいました。

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外で遊ぶ機会が極端に少なかったため、大人になってからカエルの鳴き声を聞いた彼が、真剣な顔をして何の音だと聞いたことがエピソードとして残っています。

食事やおやつも厳しく管理をして病弱な孫を過保護なほどに養育したようです。小説を与え幼いころから文学を触れさせ、教養を深めさせたのです。大人しく感性豊かな子供として育っていきます。

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才能開花は、幼少期に養われたとされ、影響しているでしょう。彼女も望んで積極的に触れさせていたのかもしれません。孫の将来を願ってのことだったのでしょう。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫③虚弱体質のためいじめられることも

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祖母の意向で学習院初等科に入学をして勉学に励みました。その一方で体は強い方ではなかったため、頻繁に風邪をひき学校を欠席しがちでありました。

4年生のときには体の調子が悪く、姿勢がうつむきがちになっていることを担任に怒られます。他にも日光を浴びてはならないと主治医から言われていたため日焼けするどころか、青白いほど血色のない肌だったといいます。

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ニックネームは「あおじろ」でからかわれていたようです。大人になってからの逞しい強靭な筋肉を作り上げた姿態とは想像もつかない幼少期を過ごしています。

辛い時期がトラウマとなっており、強く見せたいという想いが人一倍募り鍛えていたのでしょうか。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫④6年生の時に二・二六事件発生

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平日であったため学校にて授業を受けていましたが、急遽1時間目で終了となり自宅へ返される騒動が置きました。ずさんな政治によって起きた極端な富裕者と貧困層の差を整えるべきと訴えた運動でした。

天皇は何をしておられるかと陸軍の将校たちが乱暴的な行動で意思を表していったのですが、首謀者とされる青年が逮捕された後に執筆した本に強く感銘を受けています。

まだ6年生でありましたが、暴力的な権威を使って意思表明をする大人たちに少なからず影響を持っています。後に自分も将来起こすことになるとは、小学生にとって無知な分野だったことでしょう。

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【三島由紀夫事件】三島由紀夫⑤中学より歌舞伎・能に興味を持つ

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だいぶ免疫力が強くなったのでしょうか。休みがちであった学校にもよく通えるようになり丈夫になっていきました。家族は子供の成長を感じたものではないでしょうか。

夏子に連れて初めて歌舞伎を観ました。能も母方の祖母と一緒に観劇しています。生で観る演じるということの素晴らしさに大変魅力を感じ夢中になっていったといいます。

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芝居の日記を綴るようになったのも、このときからです。幼いころから本に触れていた彼は文字で感情を表すことを得意としていたようでありました。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫⑥「花ざかりの森」で才能開花

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文章にのめり込んでいった息子を、父は賛成ではなかったようですが、黙々と書き続けました。夏子の影響を強く得ていたのでしょう。権限を持った強い存在だったため反発ができないようでした。

今まで内に秘めていた感情が一気に湧き出るような衝動になり、どんどんアイディアが出てきたといいます。所属していた国文学雑誌の仲間に読ませると天才だと絶賛されています。

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これを機に念願であったデビューを果たしています。ペンネームは恩師である清水文雄がつけています。天才文学家としての道がどんどん開けていくことになります。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫⑦徴兵されるも病気で免れる

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高校生になると世界の各地でしばしば武器を使っての争いごとが起きます。理由が語れないほどの興奮する気持ちを抑えられないようでした。自身も一定検査を受け一旦合格となり、兵庫県に出兵しています。

母が風邪で寝込んでいたのが、彼にうつり入隊検査でひっかかり自宅へ即帰るようにと命じられます。命を捨てる覚悟を決めていたため、何とも言い表せられない喪失感をあらわにします。

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後に彼が入隊していたであろう部は、フィリピンへ旅立つのですがほぼ全員が死傷しています。当時は、お国のため生命は惜しくない、死せばヒーローとされる考えでした。

自分だけ助かったような状況には、男として役に立たなかった不甲斐なさや、体の弱さを表明しているようであり、益々コンプレックスとして抱くようになります。

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心の中で特殊な永眠への追及や、争いが終わったら余生だという感覚を抱くのです。特攻隊を熱望していたことから、死出の旅への恐怖はなく国のために貢献する熱意が強かったことでしょう。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫⑧終戦後、小説家を目指す

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世の中に少しづつ光がともしび始めたころに、息子の文学愛に快く思っていなかった父でしたが、これからは文章が強みになると悟り、小説家になることを提案します。

大黒柱からの許しを得たことから、しがらみが消え去り本格的にストーリーを書くことに力を注ぎます。お告げがなければ、彼の心は空洞のままであったでしょう。

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熱中できるものがあったからこそ、戦争へ参加できなかった空虚感や悔しさが少しづつではありますが消え去っていったことでしょう。

ただ、同じ時期に作家活動をしていた人物の多くが戦場を題材として執筆していたのに対し、実体験のない彼は、書きたくてもできないジャンルでありました。嫉妬心を燃やし悔しい思いをしていたようです。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫⑨様々な作品を残す

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初めから文筆一本で生計を立ててはいませんでした。東大を卒業後は大蔵省へ勤めながら時間を見つけては短編小説を完成させています。

文を作る生業として食べていける人物はほんの少しであり、二足のわらじを履きながら生活をしていくつもりでありました。極度の寝不足が続いており出勤途中で、駅のホームから転落してしまいます。

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幸運にも電車は来ず自力で逃げ切りましたが、これを知った父は作家だけに力を注ぐよう促します。なるからには日本一になることを約束させてでの条件ではありましたが、好きなことで食べていけるようレールを敷いた優しさがうかがえます。

長編の小説にも挑戦することができ、世にたくさんの作品を送り出すことになるのです。親の目は確かでありました。さまざまな文学賞を手に入れる快進撃で、世界的な有名文章家として名声を手にするのです。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫⑩45歳で切腹により死亡

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以前から他界への戸惑いはなかったものの、作家として軍兵の隊長として毎日を忙しく動いていた彼の中には特殊な美学が常にあったようでした。それは腹を切って他界することでした。

今まで神様として称えられた天皇が、人間であると公表したのが45歳でした。心酔していた存在が宣言をした同じ年に、自分の魂を捨て神を降臨させようとした意味があったのではないかといわれていますが、真相は定かではありません。

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ただ、彼の中では異常な死生観であったり古来からの伝わる日本人としての思考への、強いこだわりがあったことは事実です。この一連で妻は、ショックのあまり寝込んでしまいます。

幼い子供2人を抱えて生きていくには過酷すぎる時代でありました。彼は自分がいなくなった家庭を見越して、たくさんの作品を残し、家計の助けとなれるよう考慮してから、死を遂げたのでしょうか。

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夫の突然であり壮絶な永眠は、予想もしていなかったことでしょうし、大きく世間に取り上げられたことで嫌でも情報は耳に入ってきたことでしょう。深い悲しみに明け暮れたようです。

【三島由紀夫事件】割腹自殺と三島由紀夫の美

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文学界で素晴らしい功績を残している彼は、発想力も飛び抜けている他、空想世界を設計する賢い頭脳も持ち合わせています。それ故に独特の世界観や美学がありました。

もうすでに彼から聞くことはできないのでありますが、さまざまな感性から考察していきます。

三島由紀夫事件から考察・三島由紀夫の切腹への憧れ

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誰よりも古来の本国を受け継ごうと強い信念や思想を持ち憂いていましたが、切腹という行為には幼少のころから憧れを抱いていたとされます。祖母である夏子はたくさんの本を与え文学に触れさせました。

歌舞伎など古き時代を題材とした劇も教養の一部と考え観せています。少なくとも古来文化に親しんできたことで、いつしか彼の中で武士は強くてカッコいいものだという美学が確立していたのではないでしょうか。

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