【よど号ハイジャック事件】概要と背景、亡命の赤軍9名のその後などを解説

2000年11月には最高指導者の重信房子も、日本国内で逮捕されてしまいます。そして2001年には重信自身が解散宣言を行い、日本赤軍の歴史は完全に終了しました。

共産主義同盟赤軍派とオウム真理教の関係

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よど号ハイジャック事件をはじめ、1960年代から1970年代の次第に先鋭化していく新左翼運動を追いかけていくと、1990年代に次第に過激化していった、オウム真理教の動きと共通点があることがわかります。

共産主義同盟赤軍派の活動とオウム真理教の共通点

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共産主義者同盟赤軍派もオウム真理教も、若い人たちの「世の中を良くしたい」「もっと良い自分になりたい」というポジティブなエネルギーを、洗脳によってネガティブな政治テロ・宗教テロへと向かわせました。

どちらも最後は、身内で固まってしまって閉じた世界を作り上げ、政治や宗教をもて遊んで自分勝手な理屈を作り上げ、最後は血なまぐさいテロ事件を起こすことでは共通しています。

たとえば、仲間どうしのリンチ殺人事件を起こした連合赤軍と、リンチまがいの「修行」で何人もの信者を死亡させたオウム真理教の間には、共通点があると感じ入られます。

オウム真理教が起こした宗教テロ

一方宗教テロに関しては、やはりオウム真理教が起こした一連の事件を無視することはできないでしょう。

彼らの起こしたテロ事件は数え上げることができないほどですが、特に影響の大きかった「坂本弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」の3つを「オウム3大事件」と呼んでいます。

1980年代末期から1990年中期の間に、彼らにが起こした事件で29人が死亡し、負傷者は6,000人を超えています。

坂本弁護士一家殺人事件

坂本弁護士一家殺害事件は、1989年11月4日にオウム真理教の幹部6人が、この問題に取り組んでいた坂本堤(さかもと つつみ)弁護士を、家族と共に殺害した事件です。

坂本弁護士は、出家信者の脱会相談を家族から受けたことをきっかけとして1989年(平成元年)5月から「オウム真理教被害者の書会」を組織しました。

彼はオウム真理教がインチキだとあばき、宗教法人の認可を取り消す訴訟を起こす準備に入りました。そのため教祖の麻原彰晃(あさはらしょうこう、本名松本智津夫)は、彼の殺害を指示しました。

犯行決行

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最初は坂本弁護士だけを通勤中に襲って殺害する予定でした。しかし犯行を決行予定日の11月3日が祝日だったため、深夜に家族(夫人と1歳の長男)ごと襲って全員殺害することに決めました。

こうしてオウム真理教の6名は、翌日の11月4日の午前3時ごろ、坂本弁護士の自宅に押し入って家族3人を殺害しました。3人の遺体は見つけにくいようにバラバラの場所に埋めました。

坂本弁護士一家が突然行方不明になった事件は、最初からオウム真理教の犯行が疑われていました。しかしはっきりした証拠がないまま年月だけが流れていきました。

元メンバーの自供

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その間、オウム真理教側はテレビなどのメディアに盛んに登場し、自分たちはまっとうな宗教団体で、坂本弁護士の件をはじめ疑われている事件に関しては全て無実だと、盛んに宣伝しました。

実行犯のひとりである岡﨑 一明(おかさき かずあき)は、その後教団を脱会して暮らしていましたが、良心がとがめたため1995年5月に全て犯行を自供しました。

この結果、坂本弁護士一家の遺体は9月にすべて発見され、事件はオウム真理教の犯行と断定されました。

松本サリン事件

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松本サリン事件は、1994年6月27日に、長野県松本市の住宅街で発生しました。オウム真理教教徒が、猛毒の神経ガスのサリンを静かな住宅街に散布した事件です。

戦争の起こっていない地域で猛毒の神経ガスが使われた、世界ではじめての事例です。この事件で8名が死亡し、600名以上が負傷しました。

オウム真理教この地にサリンを散布したのは、麻原彰晃が後に起こすことになる地下鉄サリン実験のためにサリンの実験をしたかったのだと考えられています。

冤罪未遂事件でもあった

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松本サリン事件は、事件の第一発見者の河野義行さんが、半ば公然とサリン散布の疑いをかけられた冤罪未遂事件でもあります。

河野さんに対する疑いは、翌年1995年3月20日の地下鉄サリン事件の発生まで続きました。

また河野さんの妻は、サリンの影響で植物状態になってしまい。14年後の2008年8月に、回復することが無いまま亡くなりました。

地下鉄サリン事件

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地下鉄サリン事件はオウム真理教によって、営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線・丸ノ内線・日比谷線のそれぞれにおいて、運転中の地下鉄の車内で、サリンがまかれた事件です。

地下鉄サリン事件で地下鉄の乗客、乗務員や駅員、被害者の救助に当たった人などの間にサリンによる症状が現れ、死者13名、重軽傷者4,000名近く(もしかしたらそれ以上)の被害が出ました。

この事件は1995年3月20日に発生しました。詳細は次の記事を参照して下さい。

無茶な「修行」とリンチ殺人

オウム真理教の教団内部でも、連合赤軍事件の「総括」と同じように、組織内部で殺人が行われました。

オウム真理教の場合、無茶苦茶な修行や脱会しようとした者に対するリンチなどによって、わかっているだけでも5名が殺されて、30名以上が行方不明になっています。

オウム真理教の教祖麻原彰晃(本名は松本智津夫)は、一連の事件で起こったたくさんの殺人のことを、「ポア(現世より「ステージの高い」世界へ生まれ変わること)」と呼んで、正当化していました。

よど号ハイジャック事件に関する書籍の紹介

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島田滋敏「よど号事件最後の謎を解く」

文庫 「よど号」事件 最後の謎を解く (草思社文庫)

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この文庫本は、2016年出版と出版年が一番新しいため、よど号ハイジャック事件関連の書籍のなかで、最も手に入りやすいものです。

鳥越俊太郎検証・よど号グループ「拉致疑惑と帰国」

「拉致疑惑」と帰国 ---ハイジャックから祖国へ

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この本は、よど号ハイジャック事件の犯人とその妻たちで、今も北朝鮮に留まって活動を続けているメンバー6人の主張をまとめた本です。

これを読んでどのような意見を持つかは自由ですが、この問題に興味を持つ人は、一度は目を通すべきではないかと考えます

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